[解 説]
当HPでは漢数字の馬齢は旧年齢表記、算用数字の馬齢は満年齢表記
エアグルーヴは1993年早来社台ファームにて生まれた。父トニービンはアイルランド産で通算27戦15勝。1988年イタリア馬として久々に凱旋門賞を勝ち全欧古馬チャンピオンに輝いている。その後ジャパンカップを5着し、社台ファームにて種牡馬生活に入る。産駒成績は特に1993年が素晴らしく、この年だけでダービー馬ウィニングチケット、桜花賞とオークスを勝った
ベガ、マイル二冠の
ノースフライトがいる。その後サンデーサイレンスの出現で勢いが止まるが、2000年
ジャングルポケットがダービー、ジャパンカップを制した。全体的に強烈な決め脚を持つ馬が多く、東京コースで良績を残す馬が多い。2000年惜しまれながら死去した。母
ダイナカールは1983年ゴール前大激戦となったオークスを制した名牝。エアグルーヴは4番仔であり、下には2002年のクラシックで話題になったモノポライザーがいる。その父ノーザンテーストは社台ファームが導入したカナダ産のノーザンダンサー産駒で、日本の生産界にノーザンダンサー血脈を持ち込み画期的な成功を収めた。
ダイナカールの母シャダイフェザーの父ガーサントは社台ファームが日本のトップブリーダーに台頭するきっかけとなった馬で、天皇賞馬
ニットエイトなどを出している。社台ファームを支えた種牡馬を背景に生まれたオークス馬
ダイナカール。これに当時社台最高の種牡馬トニービンを配したエアグルーヴはまさに「社台の結晶」と言える。
ラッキーフィールドの持ち馬として、牝馬に実績のある栗東・伊藤雄二に入厩した。ちなみに伊藤師は生まれ落ちた直後のエアグルーヴを見て、この馬は走ると直感したという。1995年7月札幌での新馬戦は武豊を鞍上に堂々の1番人気。初戦は2着であったが2戦目で勝ちあがった。続いて東京1600mのいちょう特別を不利を受けながらも勝って、阪神三歳牝馬ステークスに駒を進めた。M.キネーンを鞍上に3番人気であった。逃げる
ビワハイジを捕らえることができず2着に敗れた。
四歳は3月のチューリップ賞から始動。ここを
ビワハイジを5馬身ちぎって雪辱、幸先良いスタートを切った。しかし桜花賞直前に熱発し、やむなく回避。しかしファンはエアグルーヴが四歳牝馬最強とみなしていた。1番人気で迎えられたオークスは桜花賞馬
ファイトガリバーの追い込みをかわし、見事に母仔2代のオークス制覇を果たした。これは1943年の
クリフジと1954年の
ヤマイチ以来である。秋はぶっつけで秋華賞に出走。1番人気に支持されていたが、パドックでのファンのフラッシュに焦れ込み、全然能力を発揮しないままファビラスラフィンの10着に惨敗した。さらにレース中に骨折し長期休養を余儀なくされた。
復帰は翌1997年五歳6月の牝馬限定G3マーメイドステークスだった。1番人気に支持されこれを勝利で飾ると、伊藤師はエアグルーヴの今後のレースについて思案した。確実性を考えれば牝馬限定のG1エリザベス女王杯を狙うのが妥当である。しかし伊藤師はエアグルーヴには牡馬相手でも互角に戦える実力があるのではないか、と考えはじめた。エアグルーヴは8月の札幌記念に出走した。札幌の芝はクッションが利いて脚元に負担がかからず、また天皇賞と同じ2000mでしかもG2に格上げされて斤量が55キロですむこと、そして出走予定していた皐月賞馬
ジェニュインなど実績馬を相手に力関係を把握するのに絶好の機会と考えたからであった。結果は1番人気に支持され完勝。陣営は天皇賞に挑むことを決意した。
天皇賞・秋には札幌記念から直行で挑んだ。前走の勝ちっぷりから見て1番人気になっても不思議ではなかったが、ここには強敵が待ち構えていた。前年四歳馬にして天皇賞に勝った
バブルガムフェローである。バブルも前走の毎日王冠を快勝し絶好調であった。結局
バブルガムフェローは単勝支持率50%強の1番人気で、エアグルーヴは20%弱の2番人気であった。つまりファンはこの2頭の一騎討ちとみていたのである。鞍上の武豊騎手は敵は
バブルガムフェローだけと考えていた。これは
バブルガムフェローの岡部騎手も同じであった。違っていたのは岡部騎手は人気を背負っていた分早めに動かざるを得なかった点であった。武豊騎手は
バブルガムフェローをマークして追い出すのをできるだけ我慢、長い競り合いの後、食い下がる
バブルガムフェローを力でねじ伏せて、見事に牝馬による天皇賞制覇をなしとげた。近年に牝馬による天皇賞を勝った
トウメイにしてもプリティキャストにしても人気薄で展開に恵まれた感は否めない。しかしエアグルーヴの場合は前年の天皇賞馬に競り勝ったものだけに、これらより数段上の評価をしなければならないだろう。
続くジャパンカップは
バブルガムフェローに次ぐ2番人気で挑んだ。最後の直線でバブルは脱落し、パドックの馬っ気でやや評価を下げていたイギリスの
ピルサドスキーが抜け出した。しかしエアグルーヴが必死に食い下がりクビ差の2着に食い込んだのである。ヨーロッパ現役最強馬と評価され、過去来日した馬の中でも最高位の実力馬である
ピルサドスキーに差のない競馬をしたのは大健闘といえた。有馬記念ではさすがに疲労の色濃く
シルクジャスティスの3着に惜敗した。天皇賞を含む秋の安定した成績が認められて牝馬として1971年の
トウメイ以来の年度代表馬に選ばれた。
エアグルーヴの素晴らしいのは六歳になっても現役を続け、比類ない結果を残したことである。初戦の大阪杯を勝ち、鳴尾記念は不良馬場に脚をとられそれでも2着。春の目標宝塚記念は
サイレンススズカの差のない3着。札幌記念は斤量58キロをもろともせずに連覇した。秋はエリザベス女王杯から始動。牝馬同士なら負けまいと1番人気であった。しかしジャパンカップは中1週で挑まねばならないために、仕上げに余裕があった。その間隙をつかれ
メジロドーベルの3着に敗れた。陣営は落胆することなくジャパンカップに挑んだ。ここでも
エルコンドルパサーの2着に健闘した。ジャパンカップを2年連続で2着した馬は過去に例がなく、まして牝馬によるものは絶後となるかもしれない。引退レースは有馬記念。鞍上には武豊が帰ってきた。2年連続ファン投票1位での出走で2番人気に支持された。結果は
グラスワンダーの5着。前年と同様疲労が蓄積していたこともあろうが、レース中に落鉄していたのである。それでも5着。もう戦う理由はなかった。。
翌年、京都競馬場で引退式。ここでも直線の全力疾走を披露し、女傑ぶりをファンに見せつけ、故郷の社台ファームに帰っていった。牡馬でも天皇賞、ジャパンカップ、有馬記念を皆勤することは少数派である。そんな風潮の中、エアグルーヴは牝馬でしかも1着、2着、3着という素晴らしい成績を残したことは高く評価するべきである。消長の激しい牝馬の場合、ほとんどのオークス馬はその後の成績は芳しくなく、五歳になってマイルG1などを得た馬にしても、それ以降となるとやはり成績は落ちる。しかしエアグルーヴは六歳にもG1勝ちこそなかったものの着外ゼロという女傑ぶりを発揮したのである。繁殖馬となってからの活躍も素晴らしく、サンデーサイレンスとの初仔の
アドマイヤグルーヴが、2003年と2004年のエリザベス女王杯を連覇した。この
アドマイヤグルーヴは皐月賞とダービーを勝った
ドゥラメンテの母となっている。さらに8番仔のルーラーシップは国内GIは未勝利ながら香港のクイーンエリザベス2世カップを制した。ルーラーシップは種牡馬として堅実な成績を収め、2017年に
キセキが菊花賞を制している。エアグルーヴは11頭の産駒を残しているが、不出走と1勝馬の2頭を除き、全て3勝以上を挙げている。2013年4月23日、その最後の産駒を出産した後、内出血により永眠。享年20歳。競走成績、繁殖成績ともにエアグルーヴは関係者の期待通りの数字を収めた。非常に幸福なサラブレッドであった。
2003年1月5日筆
2004年2月28日加筆
2022年4月2日加筆