エアシャカール成績
エアシャカールの画像
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1997/2/26生 2003/3/13没
牡  黒鹿毛
父:サンデーサイレンス 母:アイドリームドアドリーム (by Well Decorated)
生産者:千歳・社台ファーム(JPN)
馬主:(株)ラッキーフィールド
調教師:森秀行(栗東)

・中央所属時成績
2歳時 4戦 2勝
3歳時 7戦 2勝 皐月賞 菊花賞
4歳時 3戦 0勝
5歳時 6戦 0勝
中央通算 20戦 4勝
全通算 20戦 4勝
[解 説]当HPでは漢数字の馬齢は旧年齢表記、算用数字の馬齢は満年齢表記
 エアシャカールは1997年2月26日、北海道千歳・社台ファームにて生まれた。父サンデーサイレンスは1986年米国産馬。ケンタッキーダービーを含む14戦9勝の申し分ない実績で、引退後すぐ社台ファームによって日本に輸入された。我が国競馬史上最高の成績を収めた輸入種牡馬で、6頭のダービー馬をはじめ数多くのG1馬の父となった。母馬の遺伝的特質を引き出すのが抜群で、自ら持つ闘争心を産駒に伝えた。短距離から長距離まであらゆるタイプの産駒を輩出した。2001年8月に16歳で惜しまれながら死去した。母アイドリームドアドリームは1987年米国産馬で22戦2勝と平凡。社台グループの総帥吉田照哉氏が、1993年キーンランドの競り市において57000ドルで購入した。吉田氏が血統表を見て注目したのは、アイドリームドアドリームの母ヒドゥントレイルと祖母のタバコトレイルが、アメリカでフォンテンブローファームという牧場を経営していた時に、所有していた馬だったことである。フォンテンブローファームは1977年に売却され、この2頭は他人の手に渡ることになった。いわば吉田氏にとっては「血統の買い戻し」という感じだが、もちろん懐かしさだけで買ったのではなく、兄弟の成績も、馬体の印象も悪くなかったからである。エアシャカールの妹としてオークス2着のエアデジャヴーがおり、その産駒として秋華賞を勝ったエアメサイアがいる。
 1999年2歳となったエアシャカールは栗東・森秀行厩舎に入厩した。エアシャカールの問題はその激しい気性で、狭い馬房内で暴れ回る、人を乗せているのに振り落とす、騎手の制止も聞かずに走り続ける、といったものである。誰もがエアシャカールの調教を嫌がった。ただし、その気性故「斜カール」と揶揄されるほどの斜行する悪癖がありながらも、調教では並み外れたスピードを見せていた。10月東京2000mの新馬戦に武豊騎手を鞍上に初出走した。ここは5着に敗れたが、京都の未勝利戦で勝利。東京での500万条件を2着し、有馬記念当日の中山でのホープフルステークスを勝った。関西馬でありながら、東京や中山を中心に使われていたのは、皐月賞やダービーを意識してのことである。
 2000年3歳となったエアシャカールは、クラシック候補らしく、中山の弥生賞から始動した。初めての一戦級相手ということで4番人気。ここは評判馬フサイチゼノンの2着に敗れたが、久々にしては上々であった。
 第60回皐月賞は中山競馬場、曇・稍重で行われた。有力馬フサイチゼノンは体調不良のため回避し、エアシャカールはダイタクリーヴァに続く2番人気となった。スタート時、3番人気のラガーレグルスがゲートで立ち上がって騎手を振り落とすアクシデント。エアシャカール騎乗の武豊は、馬の気分に任せながら、ゆっくりと最後方に位置した。直線を迎え、4番手からダイタクリーヴァが抜け出した。エアシャカールと武豊騎手はその外から急襲。ダイタクリーヴァとの着差はクビだったが余裕を持って栄冠を手にした。ここではエアシャカールの実力よりも武豊の天才的なペース判断に裏打ちされた騎乗技術が評価された。
 続くダービーも1番人気に支持された。ここには社台ファームの同期生アグネスフライトが、東上最終便京都新聞杯を勝って出走してきた。スタート直後、エアシャカールはアグネスフライトとともに最後方に位置した。両馬は徐々に上位に進出し、まずエアシャカールが直線で抜け出して先頭に出た。しかし肝心なところで外によれる悪癖を露呈し、競り合ったアグネスフライトに接触するアクシデント。ところがアグネスフライトはそれで怯むことなく、エアシャカールと叩き合い、ほぼ同時にゴールに飛び込んだ。写真判定の結果、エアシャカールは僅か7cmの差で惜敗した。
 クラシックを制した馬となれば、夏場は休養にあてるのが普通であるが、森師は「北海道に行くのも、イギリスに行くのも一緒」と大胆な発言をして、7月アスコット競馬場で開催される、欧州夏季の最高峰「キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークス」に果敢に挑戦した。結果は前年凱旋門賞でエルコンドルパサーを下したモンジューの5着に敗れた。帰国後は神戸新聞杯3着を叩いて、菊花賞に挑むことになった。
 第61回菊花賞は京都競馬場、晴・良馬場で開催された。この年より菊花賞は、3歳馬のジャパンカップ参戦を促すため、従来より3週間繰り上げられ、10月下旬に開催されることになった。エアシャカールはアグネスフライトに1番人気を譲り2番人気であった。気性面に問題のあるエアシャカールが3000mの長丁場で折り合いがつくのか、それから海外遠征で体力を消耗しているのではないか、といった点が人気を若干下げることになった。エアシャカールは好スタートを切った。しかし鞍上の武豊はすぐに下げて内ラチ沿いの中団にエアシャカールを走らせた。長丁場の菊花賞では、最後方からの競馬は追い込んで届かずの危険があり、とにかく折り合いをつけることを優先させた。武豊は巧くなだめながら直線を迎えた。アグネスフライトはじめライバルは虎視眈々と好位置に上がってきた。エアシャカールは内ラチ沿いを通って来た分余力があった。武豊騎手が気合いを入れると、トーホーシデンをクビの差退けて、皐月賞に続いて二冠を制した。この菊花賞の武豊騎手の好騎乗は関係者にして「魔術師」と言わしめるほど見事なものであった。
 続いて勇躍ジャパンカップに参戦、3番人気に支持された。しかしテイエムオペラオーの遙か後方の14着と大敗し、同じく大敗したアグネスフライトともども、3歳馬のレベルの低さが浮き彫りとなった。
 2001年新年齢表記で4歳となったエアシャカールは産経大阪杯から始動。ここはテイエムオペラオーに先着する2着となったものの、天皇賞・春はテイエムオペラオーの8着、宝塚記念はメイショウドトウの5着とあまり良いところがなかった。その後、脚部不安を発症して秋は全休した。
 2002年5歳春は中距離路線に的を絞り、大阪杯、金鯱賞と2着。しかしG1馬はエアシャカールのみと手薄な出走メンバーだった宝塚記念をダンツフレームの4着に敗れた。この敗戦以降、ファンの評価は厳しくなり、馬も競走意欲をなくしたようであった。天皇賞・秋こそ4着だったが、ジャパンカップは12着、有馬記念は9着に敗れた。この有馬記念を最後に引退した。
 引退後はブリーダーズスタリオンステーションに種牡馬として繋養されていたが、2003年3月13日、放牧中の事故により左後脚を骨折し、安楽死の処置が取られた。引退後間もない事故であり、種付け頭数は11頭。残された子孫は僅かに4頭で、しかも全て牝馬であった。2006年10月24日、その残された4頭のうちの1頭、エアーミラクルがホッカイドウ競馬で勝ち鞍を挙げている。
 クラシック路線では能力を発揮した馬であり、古馬になってからは振るわなかったものの、それだけに繁殖馬としての巻き返しが期待されたが、早死にしたのは残念であった。また唯一獲り損ねたダービーが僅か7cmであったことから「準三冠馬」などといわれた。しかしもし仮にダービーも勝っていれば、三冠馬となったわけだが、最終的な成績を考慮すると、過去の三冠馬と比べて見劣りすることは否めない。口の悪いファンに「ダービーを負けたおかげで三冠馬の価値が保たれた」と言われる始末であった。このエアシャカール世代から5年後、社台グループはディープインパクトという名馬を輩出する。それまでの社台ファームはこのエアシャカールのように、一時期だけ能力を発揮する馬か、アンバーシャダイのように細く長く活躍する馬というように、歴史に残るような名馬と呼ぶには評価の微妙な馬を送り出してきた。エアシャカールは本物の名馬を手にするのに試行錯誤していた社台グループの作品の一頭といえるのではないだろうか。
2007年8月31日筆
競走成績
日付 競馬場 競走名 距離 馬場 頭数 人気 着順 時計 騎手 斤量 馬体重 1着馬(2着馬)
2 1999/10/31 東京 新馬 2000 13 2 5 2:04.3 武豊 53 498 ユーワシーザー
1999/11/21 京都 未勝利 1600 14 1 1 1:36.4 武豊 54 502 (エイシンモモタロー)
1999/12/11 東京 500万下 1600 11 1 2 1:36.7 M.デムーロ 54 492 パープルエビス
1999/12/26 中山 ホープフルステークス 2000 14 1 1 2:05.9 武豊 54 496 (マイネルファラオ)
3 2000/3/5 中山 弥生賞(G2) 2000 16 4 2 2:02.5 武豊 55 500 フサイチゼノン
2000/4/16 中山 皐月賞(G1) 2000 18 2 1 2:01.8 武豊 57 492 (ダイタクリーヴァ)
2000/5/28 東京 東京優駿(G1) 2400 18 1 2 2:26.2 武豊 57 494 アグネスフライト
2000/7/29 Ascot
(GBR)
キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークス【GI】 2400 7 3 5 2:31.5 武豊 54.9 --- Montjeu
2000/9/24 阪神 神戸新聞杯(G2) 2000 12 1 3 2:02.0 武豊 56 500 フサイチソニック
2000/10/22 京都 菊花賞(G1) 3000 18 2 1 3:04.7 武豊 57 494 (トーホウシデン)
2000/11/26 東京 ジャパンカップ【GI】 2400 16 3 14 2:28.2 武豊 55 480 テイエムオペラオー
4 2001/4/1 阪神 大阪杯(G2) 2000 14 4 2 1:58.5 蛯名正義 59 506 トーホウドリーム
2001/4/29 京都 天皇賞・春(G1) 3200 12 4 8 3:17.9 蛯名正義 58 508 テイエムオペラオー
2001/6/24 阪神 宝塚記念(G1) 2200 12 3 5 2:12.3 蛯名正義 58 500 メイショウドトウ
5 2002/3/31 阪神 大阪杯(G2) 2000 14 3 2 1:59.5 M.デムーロ 59 516 サンライズペガサス
2002/5/25 中京 金鯱賞(G2) 2000 18 1 2 1:58.5 武豊 59 516 ツルマルボーイ
2002/6/23 阪神 宝塚記念【GI】 2200 12 2 4 2:13.2 K.デザーモ 58 514 ダンツフレーム
2002/10/27 中山 天皇賞・秋(G1) 2000 18 6 4 1:58.8 武豊 58 504 シンボリクリスエス
2002/11/24 中山 ジャパンカップ【GI】 2200 16 7 12 2:13.4 田中勝春 57 508 ファルブラヴ
2002/12/22 中山 有馬記念(G1) 2500 14 7 9 2:34.1 横山典弘 57 510 シンボリクリスエス
距離別実績
距離区分 1着 2着 3着 連対率 主な勝鞍
1400m未満 0.000
1400〜1900m未満 21101.000
1900〜2200m未満 92410.667 2000皐月賞
2200〜2800m未満 70100.143
2800m以上 21000.500 2000菊花賞
芝コース通算204610.500 
競馬場別実績
競馬場 1着 2着 3着 連対率 主な勝鞍
京都32000.667 2000菊花賞
中京10101.000
中山62100.500 2000皐月賞
阪神50210.400
東京40200.500
Ascot(GBR)10000.000
通算204610.500 

5代血統表
サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿
Halo Hail to Reason Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Nothirdchance Blue Swords
Galla Colors
Cosmah Cosmic Bomb Pharamond
Banish Fear
Almahmoud Mahmoud
Arbitrator
Wishing Well Understanding Promised Land Palestinian
Mahmoudess
Pretty Ways Stymie
Pretty Jo
Mountain Flower Montparnasse Gulf Stream
Mignon
Edelweiss Hillary
Dowager
アイドリームドアドリーム
I Dreamed a Dream
1987 鹿
Well Decorated Raja Baba Bold Ruler Nasrullah
Miss Disco
Missy Baba My Babu
Uvira
Paris Breeze Majestic Prince Raise a Native
Gay Hostess
Tudor Jet Tudor Minstrel
Precious Lady
Hidden Trail Gleaming Herbager Vandale
Flagette
A Gleam Blenheim
Twilight Tear
Tobacco Trail Ribot Tenerani
Romanella
On the Trail Olympia
Golden Trail
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