カツトップエース成績
1978/4/20生 1991/10/16没
牡  栃栗毛
父:イエローゴッド 母:アコニット (by Acropolis)
生産者:様似・堀忠志(JPN)
馬主:勝本正男氏
調教師:菊池一雄(美浦)

・中央所属時成績
三歳時 7戦 2勝
四歳時 4戦 2勝 皐月賞 東京優駿
中央通算 11戦 4勝
全通算 11戦 4勝
[解 説]当HPでは漢数字の馬齢は旧年齢表記、算用数字の馬齢は満年齢表記
 カツトップエースは1978年4月20日、北海道様似町の堀忠志牧場にて生まれた。父イエローゴッドは英国産馬で12戦5勝。ジムクラックステークスなど重賞を3勝し、2000ギニーでは20世紀最後の三冠馬ニジンスキーの2着に入っている。アイルランドで3年間種牡馬として供用されてから、日本に輸入された。産駒としてはカツトップエースの他にファンタストが皐月賞、ブロケードが桜花賞を勝っている。ちなみにイエローゴッドはファンタストブロケードの馬主である伊達秀和氏が購入した種牡馬である。出だしはよかった種牡馬成績はその後急激に衰え、GI級勝ち馬は前述の3頭に限られる。母の父としては皐月賞と天皇賞・秋を勝ったヤエノムテキがいる。母アコニットは英国産馬で現役時は2勝。1970年に日本に輸入された。産駒としてカツトップエースまでに11頭の仔がいるが、シンザンとの仔カツトップガールの4勝が最高で、その他はほとんど未出走か未勝利で、輸入繁殖牝馬としては失敗事例に入る存在だった。ただしカツトップガールは中山牝馬Sを勝ったカツダイナミックの母となっている。母の父アクロポリスは英国産馬で12戦7勝。大レースの勝ち鞍はないが、キングジョージを2着、英国ダービーを3着している。その全兄アリシドンが4000mを越えるアスコットゴールドカップ、ドンカスターカップ勝ちなどがある名ステイヤーであることから種牡馬となることができた。兄姉に活躍馬がいないこのアコニットの仔は四白流星の栃栗毛の大型馬で見栄えがした。二歳末になると門別町の板東牧場で育成された。
 勝本正男氏に購入されたカツトップエースは美浦の菊池一雄厩舎に入厩した。カツトップエースのカツは馬主の勝本氏の冠名で、それにトップとエースと続けて三冠獲得を願っての名前だという。1980年7月5日、札幌の三歳新馬戦で的場騎手を鞍上に初出走。果敢に逃げたが6馬身差の2着に敗れた。しかし折り返しの新馬戦で初勝利。その後函館で連敗し、東京に戻ってりんどう賞に勝ったが、オープンと朝日杯はそれぞれ4着と10着に敗れ、特に大物感を漂わせることなく三歳競馬を終え、笹針を打って休養に入った。
 1981年四歳となったカツトップエースは2月のバイオレット賞4着を叩いて、皐月賞トライアルスプリングSに挑む予定であったが、熱発で回避せざるを得なかった。カツトップエースは皐月賞に出走するには獲得賞金が足りない状態だった。しかしサニーシプレー、リードワンダー、ジョーオラトリオ、アグネスベンチャーなど賞金上位の関西馬が続々と故障し、カツトップエースでも出走が可能になった。しかし朝日杯以来騎乗していた増沢騎手が別の馬を選んだために、鞍上は実績十分ながらも満身創痍の怪我から復帰直後で手が空いていた大崎昭一騎手に委ねることになった。
 第41回皐月賞は1981年4月12日、曇・良馬場の中山競馬場で開催された。故障馬が続出した関西馬に比べて関東馬はここまで順調に駒を進めてきたが、朝日杯と京成杯でのちにオークス馬となる牝馬テンモンに一蹴されており、レベルの低さは否めなかった。しかもこの年の皐月賞で本命視されたスプリングSを快勝したサンエイソロンは、脚部不安で無念の出走回避となった。替わって東京四歳Sと弥生賞を連勝したトドロキヒホウが1番人気に推された。カツトップエースは新馬と特別の2勝で出走馬のレベルの高い重賞は未勝利。それに負けたレースは新馬戦以外は4着以下だった。有力馬の回避によって繰り上がりで出走権を得たカツトップエースに対してファンの信頼は薄く、17頭立ての16番人気とブービーだった。1番の最内枠を引いたカツトップエースは全く気楽なノーマークで、簡単にハナを奪って逃げた。鞍上の大崎騎手もたまたまそうなっただけで勝つことなど考えていなかった。しかし有力馬は後方待機して、カツトップエースの作り出した1000m62秒1というスローペースの中を牽制しあった。直線を向いても、カツトップエースの逃げ足は衰えなかった。ロングミラーがゴール前で猛烈に追い上げてきたがクビの差振り切った。2着のロングミラーも全く人気がなかったので、単勝6920円、枠番連勝6650円と大波乱になった。また菊池厩舎は開業31年目にして初のクラシック制覇となった。その後カツトップエースはNHK杯に出走。サンエイソロンに敗れたとはいえ抑える競馬を試みて2着に粘り、皐月賞が紛れではないことを証明した。
 第48回日本ダービーは晴良馬場の東京競馬場にて開催された。1番人気はNHK杯でカツトップエースを下したサンエイソロン。カツトップエースは皐月賞で2着に下ろしたロングミラーにも劣る3番人気であった。カツトップエースの父イエローゴット産駒の皐月賞馬ファンタストと桜花賞馬ブロケードはダービーとオークスで惨敗しており、2400mという距離を不安視されたのかもしれない。陣営もその点は自信を持てていなかったが、大崎騎手は「母系はステイヤー系だし、折り合いもつく。直線でばったり止まる心配はない」と強気の弁だった。皐月賞と同じ1枠1番のカツトップエースはスタートして1コーナーをキタノコマヨシ、アドリアアモン、スズフタバ、ファンドリペンダスが先行争いする後方に付けた。大崎騎手は2コーナーで2番手に位置を上げて追い出すタイミングを待った。4コーナーで前を行くキタノコマヨシの逃げが鈍ると、他馬が外に膨れた。大崎騎手はその隙を突き、カツトップエースをラチ沿いに導いた。ここまでほぼ最短距離を走ってきたとはいえ府中の直線は長かった。カツトップエースも初めて走る2400mにバテかけたところに、外からサンエイソロンが馬体を合わせてきた。道中の不利や躓きを挽回せんというサンエイソロンの追撃は厳しいものがあった。しかしカツトップエースは大崎騎手のムチに応え、何とか最後の力を振り絞り、2頭は馬体を合わせてゴールに入った。長い写真判定の結果はカツトップエースがハナの差サンエイソロンを振り切っていた。その差はわずか20cm。1975年のカブラヤオー以来6年ぶりに春二冠馬が誕生した。カツトップエースの生まれた様似町は2着のサンエイソロンの故郷でもあり、人口8000人の町民はダービーの出走時刻になると、テレビ観戦のため、家の外に人の気配が消えたという。皐月賞と同じ白い帽子がゴールを駆け抜けた。勝本オーナーの勝負服は白に黄色一本輪。勝本氏は白のスーツに黄色のネクタイで表彰式に挑んだ。また大崎騎手は1969年のダイシンボルガード以来のダービー2勝目となった。当時、ダービーを2勝した騎手は大崎だけだった。
 ダービーの激闘を終えたカツトップエースは北海道に戻り休養し、シンザン以来の三冠獲得を目指した。しかし帰厩後に発症した屈腱炎が悪化し、菊花賞は断念せざる得なかった。同じ二冠馬のカブラヤオーヒカルイマイと同様の運命をたどってしまった。その後、天皇賞を目指して、温泉治療と放牧で良化したものの、競走に耐えられる状態に戻らず、1982年8月に引退した。
 引退後は総額1億5千万円のシンジケートが組まれ、西幌別の東部種馬センターで種牡馬となった。初年度は33頭の種付けを行った。しかし産駒成績は芳しくなく、次年度の39頭を最高として種付けは漸減していき、シンジケートは解散してしまった。1990年8月に中央競馬会に功労馬として買い上げられ、十三歳とまだ若かったことから去勢は免れ日高育成牧場ハッタリ分場で種牡馬となる機会を待った。その後ラッキールーラプレストウコウらとともに種牡馬として韓国に寄贈された。翌年春に済州島で種付けを行ったが、その後股関節炎が悪化し、1991年10月16日にこの世を去った。結局、日本でも韓国でも種牡馬としては好成績を挙げることはできなかった。
 四白流星の栃栗毛で派手な大型馬で、牡馬クラシック二冠馬という実績がありながら、いずれも人気薄での勝利であり、産駒成績も凡庸以下だったカツトップエースは、競馬ファンの認知度が低い。のちに1997年にサニーブライアンが同じように人気薄で牡馬クラシック二冠を達成した時に、カツトップエースが思い出された程度だ。しかし偶然にもカツトップエースもサニーブライアンもダービーが生涯最後のレースになっている。思えばこの2頭はダービーをいや皐月賞との二冠を獲るのに全精力を注いで燃え尽きたのではないだろうか。勝利を積み重ねるのは確かに優れたサラブレッドだが、たとえ一瞬でもきらめきを見せるのもまた立派なサラブレッドである。
2023年3月8日筆
競走成績
日付 競馬場 競走名 距離 馬場 頭数 人気 着順 時計 騎手 斤量 馬体重 1着馬(2着馬)
1980/7/5 札幌 新馬 ダ1000 9 3 2 1:01.5 的場均 52 510 ビッグディザイアー
1980/7/20 札幌 新馬 ダ1000 13 1 1 1:01.8 的場均 52 516 (インターキャピタル)
1980/8/17 函館 クローバー賞 1200 13 5 6 1:14.4 的場均 52 514 マーブルトウショウ
1980/9/13 函館 コスモス賞 1200 12 3 3 1:13.9 的場均 52 510 ヘーゼルブロン
1980/10/5 東京 りんどう賞 1400 13 3 1 1:24.2 的場均 53 510 (セントラルターフ)
1980/11/1 東京 オープン 1400 5 2 4 1:25.0 的場均 55 502 キンセイパワー
1980/12/7 中山 朝日杯三歳ステークス 1600 14 13 10 1:37.4 増沢末夫 54 506 テンモン
1981/2/28 中山 バイオレット賞 1800 14 9 4 1:50.9 増沢末夫 55 522 タクラマカン
1981/4/12 中山 皐月賞 2000 17 16 1 2:04.9 大崎昭一 57 516 (ロングミラー)
1981/5/10 東京 NHK杯 2000 15 5 2 2:03.6 大崎昭一 56 524 サンエイソロン
1981/5/31 東京 東京優駿 2400 27 3 1 2:28.5 大崎昭一 57 520 (サンエイソロン)
距離別実績
距離区分 1着 2着 3着 連対率 主な勝鞍
1400m未満 20010.000
ダート1400m未満 21101.000
1400〜1900m未満 41000.250
1900〜2200m未満 21101.000 1981皐月賞
2200〜2800m未満 11001.000 1981東京優駿
2800m以上 0.000
芝コース通算93110.444 
ダートコース通算21101.000 
競馬場別実績
競馬場 1着 2着 3着 連対率 主な勝鞍
中山31000.333 1981皐月賞
札幌21101.000
東京42100.750 1981東京優駿
函館20010.000
通算114210.545 

5代血統表
イエローゴッド
Yellow God
1967 栗
Red God Nasrullah Nearco Pharos
Nogara
Mumtaz Begum Blenheim
Mumtaz Mahal
Spring Run Menow Pharamond
Alcibiades
Boola Brook Bull Dog
Brookdale
Sally Deans Fun Fair Fair Trial Fairway
Lady Juror
Humoresque Walter Gay
Bar Sinister
Cora Deans Coronach Hurry On
Wet Kiss
Jennie Deans Buchan
Eleanor M.
アコニット
Aconite
1962 鹿
Acropolis Donatello Blenheim Blandford
Malva
Delleana Clarissimus
Duccia di Buoninsegna
Aurora Hyperion Gainsborough
Selene
Rose Red Swynford
Marchetta
Meadowsweet Rockefella Hyperion Gainsborough
Selene
Rockfel Felstead
Rockliffe
Queen of the Meadows Fairway Phalaris
Scapa Flow
Queen of the Blues Bachelor's Double
Blue Fairy
inserted by FC2 system