[解 説]
当Web siteでは漢数字の馬齢は旧年齢表記、算用数字の馬齢は満年齢表記
メジロラモーヌは1983年メジロ牧場にて生まれた。父モガミは1976年生まれ。メジロ牧場の総帥北野豊吉氏とシンボリ牧場の和田共宏氏が1980年に共同購入したノーザンダンサー系の種牡馬。代表産駒としては1985年のダービー馬
シリウスシンボリ、1993年のジャパンカップを制した
レガシーワールドなどがいる。産駒には気性面に問題のある馬が多い。母メジロヒリュウは1972年生まれで現役時は4勝。半弟に1990年ダービー2着のメジロアルダンがいる。
メジロ牧場の持ち馬として美浦奥平厩舎に入厩したメジロラモーヌは東京のダート牝馬限定新馬戦でデビュー。いきなり大差勝ちして注目を集める。次走の京成杯三歳Sでは4着に敗れたものの、寒菊賞勝ちの後、中山の三歳牝馬S1600mを1分34秒9という破格の時計で重賞初制覇を果たした。
四歳は東京のクイーンカップから始動。前走の勝ちっぷりが強烈だったので圧倒的1番人気に支持されたものの、どうしたことか4着に凡走した。陣営はこれまでの柏崎騎手から関西の河内騎手に乗り替えさせ、阪神の桜花賞トライアル四歳牝馬特別に挑んだ。メジロラモーヌは逃げるチュウオーサリーをゴール寸前で捕らえる強烈な末脚を見せ、桜花賞では単枠指定の1番人気に支持された。レースは危なげないものでマヤノジョウオウ以下に1馬身3/4差をつけて快勝した。桜花賞を勝った馬ならばオークスに直行するのが通例であるが、東京で不可解な敗戦を喫していることを懸念した陣営は、オークストライアル四歳牝馬特別に出走させた。結果は陣営を安心させる完勝で、続くオークスもユウミロク以下に2馬身半差をつけて完勝し、1976年のテイタニア以来10年振りに牝馬二冠を達成した。
夏を順調に過ごしたメジロラモーヌは史上初の牝馬三冠を目指して西下し、京都のローズSに姿を見せた。何とかポットテスコレディを捕らえたもののクビ差の辛勝で一沫の不安を感じさせた。そして牝馬三冠を賭けたエリザベス女王杯は単枠の1番人気に支持され、偉業に対する期待の高さを感じさせた。しかし体調は明らかな下降線で、鞍上の河内騎手も手綱からそれを感じとっていた。河内は3コーナーで早くも仕掛け4コーナーで先頭に立つという積極策に出た。直線逃げ込みを計るメジロラモーヌにスーパーショットが襲いかかるが、どうにか半馬身堪えて優勝。史上初の牝馬三冠の達成で、体調維持の難しい牝馬にあって、トライアルレースも含めて重賞6連勝という記録は容易な達成できるものではあるまい。メジロラモーヌはオーナーの方針で四歳で引退することが決まっており、引退レースとして有馬記念に出走した。牝馬三冠が評価されて
ミホシンザンに続く2番人気に支持された。結果だけ見れば
ダイナガリバーの9着に惨敗した。しかし直線で前がカットされるという不利がなければ、入着はあったかもしれない。
牝馬三冠という比類ない偉業を達成したにも関わらず、年度代表馬はダービーと有馬記念を勝った
ダイナガリバーが受賞し、一部のファンを失望させた。1988年、顕彰馬に選考されて殿堂入りを果たした。期待されて繁殖入りしたメジロラモーヌであったが、
メジロティターン、リアルシャダイ、
シンボリルドルフ、サンデーサイレンス、ラムタラなど一流種牡馬と交配したものの、期待されたような繁殖成績を収めることができず、2005年9月22日、生まれ故郷のメジロ牧場で老衰で永眠。享年22歳だった。しかしながら、牝馬にして天皇賞を制した
クインナルビーが5代後に
オグリキャップを生み出したように、競走成績の優れた牝馬は直仔は走らなくとも、交配を重ねているうちに名馬を生み出す素地となっていることが数多い。実際、曾孫のグローリーヴェイズが香港ヴァーズ(G1)を2勝するなど、それを証明している。2011年4月メジロ牧場は解散してしまったが、引き取られた各牧場にはこの貴重な血を残すために最大限の努力を期待したい。
2001年10月21日筆
2005年9月25日加筆
2011年5月14日加筆
2022年4月3日加筆