オグリキャップ成績
オグリキャップの画像
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1985/3/27生 2010/7/3没
牡  芦毛
父:ダンシングキャップ 母:ホワイトナルビー (by シルバーシャーク)
生産者:三石・稲葉不奈男(JPN)
馬主:小栗孝一氏、佐橋五十雄氏、近藤俊典氏
調教師:瀬戸口勉(栗東)

・地方所属時成績
三歳時11戦 9勝
四歳時 1戦 1勝
地方通算 12戦10勝
・中央所属時成績
四歳時 9戦 7勝 有馬記念
五歳時 6戦 3勝 マイルチャンピオンシップ
六歳時 5戦 2勝 安田記念 有馬記念
中央通算 20戦12勝
全通算 32戦22勝
[解 説]当Web siteでは漢数字の馬齢は旧年齢表記、算用数字の馬齢は満年齢表記
 オグリキャップは1985年3月北海道三石の稲葉不奈男氏によって生産された。父ダンシングキャップは歴史的名馬ネイティヴダンサーを父に持ち、地方競馬を中心に地道に活躍する馬を出してはいたが、これといった大物はいなかった。母ホワイトナルビーの産駒はこれまで全て笠松の小栗孝一氏の持ち馬となっていたが、一流の種馬をつけると走らず、二流をつけるとそこそこ走るという変わった傾向を示していた。ダンシングキャップをつけたのはこうした実績が背景にあった。ちなみに5代母として名を連ねるクインナルビーは1953年の天皇賞馬である。
 小栗氏の持ち馬として笠松地方競馬でデビューした。四歳1月まで12戦10勝という圧倒的な強さに目を見張った佐橋五十男氏は、皐月賞、ダービー、菊花賞という四歳馬のみが挑戦できるクラシックレースに登録していなかったのを承知の上で、この馬を購入し、中央競馬に移籍させた。
 栗東の瀬戸口厩舎に預託されて、中央初戦は3月のペガサスS。関係者間ではすでにその素質を見抜かれていたが、ファンの認知度は低くここでは2番人気。河内騎手を鞍上にここを勝利で飾ると、毎日杯、京都四歳特別と3連勝。初の東上戦となったニュージーランドTをいささかメンバーが弱かったとはいえ持ったままで圧勝。この地方出身の芦毛馬の強さは全国に認知されることになった。続いて高松宮杯で古馬初対決。ランドヒリュウ以下二戦級オープン馬に快勝。夏場を休養あて秋は毎日王冠から始動。シリウスシンボリ、ダイナアクトレス以下古馬G1路線の常連をまったく問題とせずに一蹴し、重賞6連勝を達成した。しかし次の天皇賞・秋には、天皇賞・春、宝塚記念とG1を連勝中の五歳の芦毛タマモクロスが出走してきた。人気はこの2頭が圧倒的に支持され、わずかにオグリキャップが1番人気に支持された。レースはタマモクロスの意表をつく先行策に屈し、直線よく追い込んだものの2着に敗れた。打倒タマモクロスを果たすためマイルCSから予定を変更してジャパンカップに出走。凱旋門賞馬トニービンをかわしたものの、勝ったアメリカのペイザバトラーとまたもタマモクロスを捕らえることができず3着とはじめて連を外した。タマモクロスの引退レースとなった有馬記念。雪辱の最後のチャンスとなったが、オグリキャップは鞍上に岡部騎手を迎え、タマモクロスの追い込みを凌いで、雪辱を果たすと同時に現役最強馬に登りつめた。
 五歳になったオグリキャップは復帰は秋からとなった。その間にオーナーの佐橋氏が脱税容疑で馬主資格を失い、近藤俊典氏にトレードされた。南井騎手を鞍上にオールカマーに出走してこれを楽勝。さらに毎日王冠に出走してメジロアルダン、イナリワンを歴史に残る死闘で下した。そして断然の1番人気で出走した天皇賞・秋であったが、直線前が塞がる不利もあって、スーパークリークを捕らえることができず2着に敗れる。ここで近藤オーナーはマイルCS、ジャパンカップを連闘後、有馬記念に向かうという前代未聞のローテーションを決断する。マイルCSはその年の安田記念を勝ったバンブーメモリーをとても届かないと思われる位置からハナ差の差し切り勝ち。連闘での挑戦となったジャパンカップではスーパークリークの2番人気であったが、驚異的なハイペースで先行するホーリックスを、闘志むき出しにして首差の2着まで追い込んだ。タイムは2分22秒2で2400mの世界レコードであった。有馬記念ではさすがに疲れがでたのか、優勝争いに加わることなく5着に敗れる。
 六歳になったオグリキャップに、武豊騎手を鞍上に迎えてアメリカのアーリントンミリオンへの挑戦プランが持ちあがった。日本での初戦は最も得意なマイル戦安田記念が選ばれた。天才と怪物のコンビは、久々も何のその、1分32秒4でレコード勝ちをおさめてしまった。この圧勝に酔いしれたファンは次走の宝塚記念を圧倒的1番人気で迎えた。しかし二走ボケか鞍上の岡潤一郎騎手が緊張していたのか、オサイチジョージの離される一方の2着に敗れ、海外遠征も取りやめとなった。
 秋は天皇賞から復帰。1番人気に支持されたものの、いいところなくヤエノムテキの6着に敗れ、次のジャパンカップでは闘志をみせることなく11着という惨敗を喫してしまう。「もはやオグリキャップは終わった」「もう引退させたら」という周囲の声にもめげず、関係者は引退レースに決めていた有馬記念に挑んだ。明らかに全盛時代の調子にない、しかし今までの感謝の意味をこめてファンは4番人気に支持した。鞍上には武豊が復帰。天才の手綱さばきに関係者はわずかな望みを托した。レースは予想に反してスローで流れ、各馬は折り合いをつけるのに苦労した。そんな中、百戦錬磨のオグリキャップはしっかり折り合って中団待機し、直線猛然とスパートした。そしてメジロライアンの追い込みを凌いで、1着でゴールに飛び込んだ。奇跡的な勝利に酔いしれたファンによるオグリコールが轟く中、あたかも千両役者が花道を引き上げるかのごとく中山の馬道に消えていった。
 高額でシンジケートされ種牡馬生活に入ったオグリキャップであったが、中央での重賞勝ち馬すら輩出できず、繁殖入りした牝馬の成績も芳しくない。将来においてオグリキャップの名が血統表に残るのは絶望的である。2010年7月3日、余生を送っていた優駿スタリオンステーションにて骨折による予後不良で安楽死の措置が取られた。享年25歳。
 地方競馬から殴り込み、ついに有馬記念を制した四歳の出世劇。過酷なローテーションにめげず善戦敢闘した五歳時。そして調子落ちの中で見事に引退レースを飾った六歳の復活劇。女性を含む抜群の知名度でグッズを売上げ、競馬のイメージをアップを図るとともに、馬産地日高を観光地化するほどの経済効果をもたらした。これだけの多くのドラマを演じえた馬は過去にいただろうか。まごうことなきスーパースターであった。おそらくオグリキャップより強い馬はこれから数多く輩出するだろう。しかし彼を越えるスーパースターの出現を期待するのは難しいだろう。
2000年5月9日筆
2022年4月5日加筆
競走成績
日付 競馬場 競走名 距離 馬場 頭数 人気 着順 時計 騎手 斤量 馬体重 1着馬(2着馬)
1987/5/19 笠松 新馬 ダ800 10 2 2 0:50.1 青木達彦 54 452 マーチトウショウ
1987/6/2 笠松 三歳 ダ800 7 1 1 0:50.1 高橋一成 54 450 (ノースヒーロー)
1987/6/15 笠松 三歳 ダ800 9 1 1 0:49.8 青木達彦 54 456 (フュートチャー)
1987/7/26 笠松 三歳 ダ800 7 1 2 0:50.3 高橋一成 55 470 マーチトウショウ
1987/8/12 笠松 三歳 ダ800 8 1 1 0:49.7 高橋一成 55 470 (マーチトウショウ)
1987/8/30 笠松 秋風ジュニア ダ1400 10 1 1 1:30.3 安藤勝己 54 476 (マーチトウショウ)
1987/10/4 笠松 ジュニアクラウン ダ1400 9 1 1 1:29.4 安藤勝己 54 472 (マーチトウショウ)
1987/10/14 中京 中京杯 1200 12 1 1 1:10.8 安藤勝己 54 470 (アーデントラブ)
1987/11/4 名古屋 中日スポーツ杯 ダ1400 12 1 1 1:29.8 安藤勝己 54 476 (ハロープリンセス)
1987/12/7 笠松 師走特別 ダ1600 10 1 1 1:44.4 安藤勝己 54 482 (ヤングオージャ)
1987/12/29 笠松 ジュニアグランプリ ダ1600 10 1 1 1:45.0 安藤勝己 54 482 (トウカイシャーク)
1988/1/10 笠松 ゴールドジュニア ダ1600 10 1 1 1:41.8 安藤勝己 56 486 (マーチトウショウ)
1988/3/6 阪神 ペガサスステークス(G3) 1600 10 2 1 1:35.6 河内洋 56 482 (ラガーブラック)
1988/3/27 阪神 毎日杯(G3) 2000 10 1 1 2:04.8 河内洋 57 476 (ファンドリデクター)
1988/5/8 京都 京都四歳特別(G3) 2000 15 1 1 2:03.6 南井克巳 58 480 (コウエイスパート)
1988/6/5 東京 ニュージーランドトロフィー四歳ステークス(G2) 1600 13 1 1 1:34.0 河内洋 55 480 (リンドホシ)
1988/7/1 中京 高松宮杯(G2) 2000 8 1 1 R1:59.0 河内洋 55 478 (ランドヒリュウ)
1988/10/9 東京 毎日王冠(G2) 1800 11 1 1 1:49.2 河内洋 56 494 (シリウスシンボリ)
1988/10/30 東京 天皇賞・秋(G1) 2000 13 1 2 1:59.0 河内洋 56 492 タマモクロス
1988/11/27 東京 ジャパンカップ(G1) 2400 14 3 3 2:25.8 河内洋 55 494 ペイザバトラー
1988/12/25 中山 有馬記念(G1) 2500 13 2 1 2:33.9 岡部幸雄 55 492 (タマモクロス)
1989/9/17 中山 オールカマー(G3) 2200 13 1 1 R2:12.4 南井克巳 57 490 (オールダッシュ)
1989/10/8 東京 毎日王冠(G2) 1800 8 1 1 1:46.7 南井克巳 59 498 (イナリワン)
1989/10/29 東京 天皇賞・秋(G1) 2000 14 1 2 1:59.1 南井克巳 58 496 スーパークリーク
1989/11/19 京都 マイルチャンピオンシップ(G1) 1600 17 1 1 1:34.6 南井克巳 57 496 (バンブーメモリー)
1989/11/26 東京 ジャパンカップ(G1) 2400 15 2 2 2:22.2 南井克巳 57 496 ホーリックス
1989/12/24 中山 有馬記念(G1) 2500 16 1 5 2:32.5 南井克巳 57 496 イナリワン
1990/5/13 東京 安田記念(G1) 1600 16 1 1 R1:32.4 武豊 57 496 (ヤエノムテキ)
1990/6/10 阪神 宝塚記念(G1) 2200 10 1 2 2:14.6 岡潤一郎 57 500 オサイチジョージ
1990/10/28 東京 天皇賞・秋(G1) 2000 18 1 6 1:58.9 増沢末夫 58 500 ヤエノムテキ
1990/11/25 東京 ジャパンカップ(G1) 2400 15 4 11 2:24.1 増沢末夫 57 496 ベタールースンアップ
1990/12/23 中山 有馬記念(G1) 2500 16 4 1 2:34.2 武豊 56 494 (メジロライアン)
距離別実績
距離区分 1着 2着 3着 連対率 主な勝鞍
1400m未満 11001.000
ダート1400m未満 53201.000
1400〜1900m未満 66001.000 1989マイルチャンピオンシップ 1990安田記念
ダート1400〜1900m未満 66001.000
1900〜2200m未満 63200.833
2200〜2800m未満 83210.625 1988有馬記念 1990有馬記念
2800m以上 0.000
芝コース通算2113410.810 
ダートコース通算119201.000 
競馬場別実績
競馬場 1着 2着 3着 連対率 主な勝鞍
京都22001.000 1989マイルチャンピオンシップ
中京11001.000
(名古屋)11001.000
中山43000.750 1988有馬記念 1990有馬記念
(笠松)108201.000
阪神32101.000
東京104310.700 1990安田記念
(中京)11001.000
通算3222610.875 
括弧内は地方競馬所属時の実績

5代血統表
ダンシングキャップ
Dancing Cap
1968 芦
Native Dancer Polynesian Unbreakable Sickle
Blue Glass
Black Polly Polymelian
Black Queen
Geisha Discovery Display
Ariadne
Miyako John P.Grier
La Chica
Merry Madcap Grey Sovereign Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Kong Baytown
Clang
Croft Lady Golden Cloud Gold Bridge
Rainstorm
Land of Hope Court Martial
Little Britain
ホワイトナルビー
1974 芦
シルバーシャーク Buisson Ardent Relic War Relic
Bridal Colors
Rose o'Lynn Pherozshah
Rocklyn
Palsaka Palestine Fair Trial
Una
Masaka Nearco
Majideh
ネヴァーナルビー ネヴァービート Never Say Die Nasrullah
Singing Grass
Bride Elect Big Game
Netherton Maid
センジュウ ガーサント Bubbles
Montagnana
スターナルビー ハロウェー
クインナルビー
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