[解 説]
当Web siteでは漢数字の馬齢は旧年齢表記、算用数字の馬齢は満年齢表記
ショウナンカンプは1998年3月、浦河・大柳ファームにて生まれた。父
サクラバクシンオーはテスコボーイの晩年の傑作天皇賞馬
サクラユタカオーを父に、天皇賞馬・有馬記念を制した
アンバーシャダイの妹クリアアンバーを母に持ち、現役時代は21戦11勝。1993年及び1994年スプリンターズステークスを連覇した短距離のスペシャリストであった。母ショウナングレイスは現役時10戦2勝と平凡ではあるが、母方の魅惑的な血統が目を引く。ショウナングレイスの母ヤセイコーソの父は「万能の怪物」といわれた
タケシバオーである。海外の2戦こそ惨敗し、大レースの勝ち鞍は天皇賞のみであるが、距離、馬場、斤量など全く不問の活躍で26戦16勝。国内では3着以下はなしという安定感を示し、2004年度に顕彰馬に選定されている。さらにヤセイコーソの4代母はアサマユリでこの子孫には菊花賞馬
メジロデュレン、菊花賞に加えて天皇賞・春を連覇し、顕彰馬に選定されている
メジロマックイーンなどがいる。さらにアサマユリの父は1953年の皐月賞、ダービーを制した二冠馬ボスト二アンである。ショウナンカンプの母の父ラッキーソブリンはイギリス最後の三冠馬ニジンスキーを父に持つとはいえ、現役時代は15戦1勝。しかしその1勝は英国ダービーの前哨戦ダンテS(G3)であり、その後アイルランドダービーで2着している。その実績を買われて種牡馬入りし、1978年より日本にて供用。阪神三歳Sを勝ったロングハヤブサ、
ラッキーゲランなどの地味ながら長く活躍する産駒を輩出した。このように錚々たる名馬の名が連なるショウナンカンプの血統は、昔を知る競馬ファンなら琴線に触れることは間違いのないものである。
国本哲秀氏の持ち馬として美浦・大久保洋吉厩舎に入厩したショウナンカンプは2001年1月7日、3歳中山ダート1800m新馬戦で吉田豊騎手を鞍上に初出走。4番人気の11着と敗退。折り返しの新馬戦も3着に敗れた。陣営は体制を立て直し、すでにダービーも終わった6月東京の未勝利戦に出走させたが6着。7月福島でようやく勝ち上がった。その後函館、札幌に転戦し、条件戦を2着10着1着。12月の中山の初霜特別を勝ってオープン入りした。
翌2002年4歳となったショウナンカンプは1月東京のダート重賞ガーネットステークス(G3)に出走も11着に敗れた。西下し京都の橿原ステークスも3着に終わった。これまで陣営はショウナンカンプの脚元を心配してダートにしか使っていなかった。しかしダートで伸び悩んでいる現状を打破するために、芝に活路を見いだすことになった。2月京都の山城ステークスは芝1200m。5番人気と評価は低かったが、テン乗りの藤田伸二騎手を鞍上に、サンデーサイレンス産駒のスピード牝馬として頭角を現しつつあった
ビリーヴに2馬身半差をつける逃げ切り勝ちを収めた。自信を深めた陣営は、中山のオーシャンステークス勝ちを手土産に高松宮記念に挑戦することになった。
第32回高松宮記念(G1)は夏を思わせるような好天に恵まれた。1番人気は昨年の覇者
トロットスターで、かつての2歳王者で漸く復活した
アドマイヤコジーンがそれに続いた。ショウナンカンプは連勝中とはいえ、使い込まれていること、左回りの実績がないこと、また重賞勝ちどころか芝の重賞が初挑戦ということもあって3番人気であった。ショウナンカンプの鞍上藤田騎手はスタートに注意した。とにかくハナを切って気分よく走らせなければ勝算はない。首尾よくスタートが切れた。後続はペースが速いと感じて控えた。しかしこれはショウナンカンプのペースであった。直線に入っても逃げ足が衰えず、追い込んできた
アドマイヤコジーンを3馬身差をつける圧勝であった。
サクラバクシンオーにとっては初めてのG1勝ち馬であった。父と同じ芝のスプリント路線でショウナンカンプの才能が開花したわけである。
その後は函館スプリントステークス(G3)4着を叩いて、新潟で代替開催されたスプリンターズステークス(G1)に出走するも、
ビリーヴに山城ステークスの雪辱をされて3着。10月京都のスワンステークスに勝って、12月勇躍、香港に遠征。香港スプリント(国際G1)に出走するもさすがに世界の壁は厚く10着に惨敗した。
2003年5歳となったショウナンカンプは高松宮記念連覇を目指し西下し、阪急杯(G3)を59キロを背負いながら逃げ切って幸先のいいスタート。しかし高松宮記念は1番人気に推されながら、直線で後退する7着に敗れた。その後脚部不安が発生したため、同年6月引退、同年7月函館にて引退式が行われた。
引退したショウナンカンプは静内のレックススタッドにて種牡馬としての生活を送った。ショウナンアチーヴがニュージーランドトロフィー、ラブカンプーがCBC賞を勝ち、この2頭のみが重賞勝ち馬となったのみだ。期待されたテスコボーイ直系の後継種牡馬となれるような大物を輩出できなかった。2020年3月12日、余生を送っていた宮崎県の吉野牧場にて、放牧中の事故で永眠した。。
テスコボーイ系種牡馬は70年代から80年代にかけて日本の馬産を席巻しながら、近年サンデーサイレンス系種牡馬に駆逐されてしまった。ショウナンカンプの後継種牡馬は重賞未勝利のミキノドラマーのみで、その血が後世に残る可能性は限りなくゼロに近い。けれどもテスコボーイは日本の馬産に一時代を築いたことは間違いない。
2004年12月19日筆
2022年4月6日加筆