シンボリクリスエス

Symboli Kris S

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シンボリクリスエスの画像
著作権
1999/1/21生 
牡  黒鹿毛
父:Kris S. 母:Tee Kay (by Gold Meridian)
生産者:Takahiro Wada(USA)
馬主:シンボリ牧場
調教師:藤沢和雄(美浦)

・中央所属時成績
2 歳時 1戦 1勝
3 歳時10戦 5勝 天皇賞・秋 有馬記念
4 歳時 4戦 2勝 天皇賞・秋 有馬記念
中央通算 15戦 8勝
全通算 15戦 8勝

[解 説]当HPでは漢数字の馬齢は旧年齢表記、算用数字の馬齢は満年齢表記
 シンボリクリスエスは1999年1月アメリカのシンボリ牧場にて生まれた。日本の馬は気候の関係でだいたいは3月から5月に生まれるのが普通であるのに、1月生まれとは早いが、欧米では珍しいことではない。生産者のTakahiro Wadaとあるのは和田孝弘氏のことで、シンボリルドルフ、スピードシンボリなど歴史に残る名馬を生産したシンボリ牧場の総帥和田共弘氏の長男である。欧米では生産者Breederとは牧場の名前とは限らず、その母馬の所有者を記すことが多い。父Kris S.(クリスエス)は1977年アメリカ産で現役時5戦3勝。ブラッドベリーSという下級重賞を勝っただけで、種牡馬になってからも低評価に甘んじていたが、晩年になって成績を上げ、1993年に北米リーディングサイヤーに輝いた。主な産駒としてはブリーダーズカップターフとサンルイレイSに勝ったプライズドなどがいる。産駒は特にブリーダーズカップに好成績を収めている。クリスエスの父はRoberto(ロベルト)でその仔にはリアルシャダイ、ブライアンズタイムなど日本でもおなじみの種牡馬がいる。さらにロベルトの父Hail to ReasonはHalo(ヘイロー)を通じてサンデーサイレンスを輩出している。つまり父方の血筋だけみれば、クリスエスとサンデーサイレンスは従兄弟でブライアンズタイムは兄弟ということになる。日本に輸入された産駒としてはアルゼンチン共和国杯に勝ったマチカネアレグロがいる。母Tee Kayは1991年アメリカ産で現役時31戦6勝。マーサワシントンHという芝のG3に勝っているだけの平凡な成績。母系を辿ってもその兄弟に競走馬として大成功した馬はおらず、母の父Gold Meridianは日本において調査するのは困難なほど無名馬である。この二流馬の域を出ないTee Kayは和田氏によってアメリカのセリにおいて3500万円で購入され、シンボリクリスエスは彼女の2番仔である。シンボリクリスエスは漆黒に近い黒鹿毛で大きな馬で、温順そうな性格ではあったが、それほど目立った存在ではなかった。彼を管理することになる藤沢調教師も最初に見た時には平凡な印象であった。
 日本に渡り、美浦の藤沢厩舎に所属したシンボリクリスエスは2001年10月、東京の2歳新馬戦でデビューした。藤沢厩舎の主戦ともいうべき岡部騎手を鞍上に楽勝、540キロの馬体は1番人気に応えた。その後は肩に少々不安が生じて2歳G1の朝日杯には使わずに年を越した。
 3歳のシンボリクリスエスは1月にセントポーリア賞、2月にゆりかもめ賞、3月の条件戦2着、3着、3着と足踏み。しかし藤沢師は順調に調教をこなすシンボリクリスエスに焦りを感じていなかった。皐月賞の前週4月の山吹賞でようやく2勝目をあげた。シンボリクリスエスは外国産馬なので指定オープンに勝たないとダービーに出走できない。その指定オープンである青葉賞を武豊が騎乗して勝ち、出走権を手に入れた。ダービーは武豊騎乗のタニノギムレット、皐月賞馬ノーリーズンに次ぐ3番人気。デビュー以来最低の520キロまで絞り込んでの出走であった。シンボリクリスエスと岡部幸雄は直線早めに先頭に立って逃げ込みをはかるがタニノギムレットの末脚に屈して2着に敗れた。
 3歳秋は神戸新聞杯から始動。これに快勝したが、せっかく西下したというのに3歳限定の菊花賞ではなく、古馬との混合戦である天皇賞・秋に挑戦することが発表された。スピード競馬全盛の現在、藤沢師は3000mの菊花賞に勝つよりも、古馬相手という不利はあるものの2000mの天皇賞に勝った方が、種牡馬となったときの価値を高めると判断したのである。第126回天皇賞は東京競馬場改修工事のため36年ぶりに中山競馬場で開催された。1番人気は札幌記念を勝った牝馬テイエムオーシャン。2番人気は京都大賞典を勝ったナリタトップロード。この両馬は前哨戦の勝ち馬というだけでなく、テイエムオーシャンは桜花賞と秋華賞に勝ち、ナリタトップロードは菊花賞馬という実績馬であり、これら歴戦の2頭に対して3歳馬でしかもG1馬でもないシンボリクリスエスが3番人気だったのは仕方のないところであった。シンボリクリスエスと岡部騎手はスタートから無理をさせず中団につけた。そして3コーナーから徐々に進出。直線に向くとテイエムオーシャンが失速。シンボリクリスエスはなかなか馬群を割れない。しかしこじ開けてからが早かった。あと100mで先頭に立つとナリタトップロードの猛追撃を3/4馬身振り切ってゴールインした。あと4日で54歳の誕生日を迎える岡部騎手は史上最高齢での天皇賞優勝となった。3歳馬の天皇賞制覇は藤沢師が管理していたバブルガムフェロー以来6年ぶりであった。
 続くジャパンカップは中山2200mで行われた。天皇賞で古馬の壁を突破したシンボリクリスエスは1番人気に支持された。このジャパンカップから岡部騎手からオリビエ・ペリエ騎手に乗り代わった。これは翌年の海外遠征を視野に入れてのことだったのだろう。しかしスタートでよもやの出遅れ。直線よく追い込んだもののイタリアのファルブラヴの3着に敗れた。
 第47回有馬記念はエリザベス女王杯を無敗で制した3歳牝馬ファインモーションが1番人気に支持された。シンボリクリスエスは2番人気だった。同じ古馬の壁を突破してきた両馬であったが、牡馬と牝馬、そして気性面で大きな差があった。スタートから行きたがるファインモーションが折り合いを欠いて5着に沈んだのに対して、シンボリクリスエスは十分な手応えから逃げるタップダンスシチーを差しきった。藤沢調教師とペリエ騎手にとって有馬記念は初制覇となった。3歳馬にして古馬混合G1を2勝したことが評価されて年度代表馬に選ばれた。
 4歳となったシンボリクリスエスは放牧後、5月を過ぎて厩舎に戻り順調に調教を積まれた。予定されていた海外遠征は中止され有馬記念を最後に引退することが発表された。シンボリクリスエスの宝塚記念から始動することになった。古馬の目標である春の天皇賞に出走を見送ったのは菊花賞と同様の理由である。この年の宝塚記念は史上最高の豪華メンバーで争われた。すなわち前年の覇者ダンツフレーム、安田記念でG1級競走6勝としたアグネスデジタル、ジャパンカップダートを勝ったイーグルカフェ、人気薄ながらも菊花賞と天皇賞を制したヒシミラクル。これだけでも十分なのだが、何といってもこの年の皐月賞、ダービーの二冠を制したネオユニヴァースが出走を表明したことが、競馬ファンの興味をかき立てた。宝塚記念は3歳馬に開放されて久しいが超一流馬の参戦は過去になかったからである。その他重賞の常連が集結したメンバーにあっても、有馬記念以来でありながらシンボリクリスエスは1番人気に支持された。故障で休養していたのではない、調教も十分積んでいる、グランプリ馬として恥ずかしくないレースをするはず、と陣営は自信を持っていた。しかしその年の天皇賞馬でありながら全くの人気薄だったヒシミラクルのロングスパートに屈し、シンボリクリスエスは直線で失速、ネオユニヴァースにも先着を許す5着に敗れた。辛うじて着順掲示板には載ったものの生涯唯一の4着以下となった。体制を立て直すべく陣営は出走を匂わせていた札幌記念を回避して、天皇賞・秋に直行することになった。
 第124回天皇賞・秋は改装なった東京競馬場で行われた。晴天、良馬場、フルゲート18頭。戦場は申し分なかった。ただ役者に多少の問題があった。天皇賞は最大4頭しか外国産馬が出走できない。シンボリクリスエスは獲得賞金から問題なかったが、出走意志を表明していたアグネスデジタル、イーグルカフェ、エイシンプレストンの出走権争いが激しかった。結局、ファインモーションとタップダンスシチーが出走回避したので、前述の3頭は出走することができた。これら外国産馬に比べ内国産馬はその筆頭格のヒシミラクルが故障発生してしまい、数は揃えたものの、その質の低下は否めなかった。シンボリクリスエスは18番の大外枠であった。東京コースの2000mは外枠不利は定説であった。しかし改装後は2コーナーまでは直線で走れるようになり、多少外枠の不利は軽減されるようになった。シンボリクリスエスは1番人気であった。前年の覇者であるとともに、他の外国産馬は底力は認めるものの高齢馬ばかりで上積みを望めなかったからである。2番人気は海外遠征帰りのローエングリーンであった。レースはそのローエングリーンとゴースタディが競り合うように先行争いを演じ、1000mの通過タイムが56.9秒という超ハイペースになった。シンボリクリスエスはそんな乱ペースにも動じず、中団で構えると、直線に入ると一気に抜け出して、最後方から追い上げたツルマルボーイ以下を一蹴した。勝ち時計は1分58秒0の新装レコードであった。天皇賞・秋を連覇したのは史上初めてであった。
 続くジャパンカップは当然のように1番人気に支持された。530キロを優に越える馬体を誇るシンボリクリスエスにとって、力で押し切れる雨の降る重馬場は問題とはならないだろうとファンは考えていた。しかし最内枠から軽快に逃げるタップダンスシチーは捕まるどころか、直線では後続馬を引き離し、2着馬に9馬身差をつける圧勝であった。シンボリクリスエスは2着の菊花賞馬ザッツザプレンティに迫る3着に入線するのが精一杯だった。シンボリクリスエスは有馬記念を引退レースと決めていた。ジャパンカップは勝ち馬の展開にはまって取りこぼしただけ、現役最強馬はシンボリクリスエスだ、との認識で藤沢師は強めの調教を施して有馬記念に向かわせた。
 この年の第48回有馬記念は地方競馬との日程の調整ができて12月28日というもっとも遅い開催となった。二冠馬ネオユニヴァース、牝馬三冠馬スティルインラブが姿を見せず、12頭立てとやや寂しい顔ぶれの有馬記念であった。シンボリクリスエスはファン投票1位、そして1番人気に支持された。結果は大方の予想を上回る強い勝ち方だった。道中は中団につけ、直線入り口で先頭に並びかけた。ペリエ騎手のステッキに促されると、2着リンカーンにつけた着差は実に9馬身。これは第12回のカブトシローがリユウフアーロスにつけた6馬身を大きく上回る着差である。勝ち時計の2分30秒5はレコードであった。実力馬が勢揃いする有馬記念でこれほどの着差をつけるには余程に図抜けた実力を持っていなければ不可能である。有馬記念当日の最終レースが終わったあと、夕闇迫る中山競馬場で引退式が行われた。天皇賞と有馬記念が強い勝ち方だったので、三冠牝馬スティルインラブに大差をつけてシンボリクリスエスは2年連続で年度代表馬に選出された。しかし宝塚記念とジャパンカップの負け方が納得できない、かつてのメジロラモーヌと同じように牝馬三冠という偉業を達成しても年度代表馬になれないというのは牝馬軽視につながる、と記者投票の結果に疑問を持つ関係者やファンがいないわけではなかった。
 シンボリクリスエスは社台スタリオンセンターにて種牡馬生活を送ることになった。社台ファームの総帥吉田照哉氏は元来、大きな身体つきの種牡馬は産駒に脚部不安をもつことが多いということで、導入に慎重であった。しかし吉田氏は大きな馬体にもかかわらず、脚部の故障に悩ませたことがない頑健さを高く評価し、故サンデーサイレンスの後継種牡馬として導入を決意した。シンボリクリスエスが直線を加速する様は、まるでベンツのような高級な大排気量車がアウトバーンを疾走する、そんな安定感ある走りを思わせた。しかし血統に見所のない外国産馬でどこかエリート然として、得意な距離ばかり走って面白味に欠き、馬券では信頼されたものの、いまひとつファンの人気の薄い馬だった。種牡馬として成功するかどうかはむろん誰にも分からない。しかし血統的にはノーザンダンサーの血が入っていないので、日本に多く残されたノーザンテーストの牝駒に和合性が高いと推定され、成功率はごく高い。2007年にデビューする産駒に期待したいところだ。
2004年3月7日筆

日付 競馬場 競走名 距離 馬場 頭数 人気 着順 時計 騎手 斤量 馬体重 1着馬(2着馬)
2 2001/10/13 東京 新馬 1600 9 1 1 1:36.5 岡部幸雄 53 540 (アサクサキニナル)
3 2002/1/27 東京 セントポーリア賞 1800 14 2 2 1:53.3 横山典弘 55 538 タイムレスワールド
2002/2/9 東京 ゆりかもめ賞 2400 16 1 3 2:30.8 横山典弘 55 538 トウカイアロー
2002/3/10 中山 500万下 1800 16 1 3 1:48.0 岡部幸雄 55 530 マイネルリバティー
2002/4/6 中山 山吹賞 2200 16 2 1 2:14.3 岡部幸雄 55 526 (マイネルアムンゼン)
2002/4/27 東京 青葉賞(G2) 2400 18 1 1 2:26.4 武豊 56 526 (バンブーユベントス)
2002/5/26 東京 東京優駿(G1) 2400 18 3 2 2:26.4 岡部幸雄 57 520 タニノギムレット
2002/9/22 阪神 神戸新聞杯(G2) 2000 16 1 1 1:59.1 岡部幸雄 56 522 (ノーリーズン)
2002/10/27 中山 天皇賞・秋(G1) 2000 18 3 1 1:58.5 岡部幸雄 56 530 (ナリタトップロード)
2002/11/24 中山 ジャパンカップ(国際G1) 2200 16 1 3 2:12.3 O.ペリエ 55 536 ファルブラヴ
2002/12/22 中山 有馬記念(G1) 2500 14 2 1 2:32.6 O.ペリエ 55 528 (タップダンスシチー)
4 2003/6/29 阪神 宝塚記念(国際G1) 2200 17 1 5 2:12.3 K.デザーモ 58 524 ヒシミラクル
2003/11/2 東京 天皇賞・秋(G1) 2000 18 1 1 R1:58.0 O.ペリエ 58 534 (ツルマルボーイ)
2003/11/30 東京 ジャパンカップ(国際G1) 2400 18 1 3 2:30.3 O.ペリエ 57 540 タップダンスシチー
2003/12/28 中山 有馬記念(G1) 2500 12 1 1 R2:30.5 O.ペリエ 57 538 (リンカーン)

距離別実績
距離区分 1着 2着 3着 連対率 主な勝鞍
1400m未満 Sprint 0.000
1400〜1900m未満 Mile 31110.667
1900〜2200m未満 Intermediate 33001.000 2002天皇賞・秋 2003天皇賞・秋
2200〜2800m未満 Long 94130.556 2002有馬記念 2003有馬記念
2800m以上 Extended 0.000
芝コース通算158240.667 

競馬場別実績
競馬場 1着 2着 3着 連対率 主な勝鞍
中山64020.667 2002天皇賞・秋 2002有馬記念 2003有馬記念
東京73220.714 2003天皇賞・秋
阪神21000.500
通算158240.667 

5代血統表
Kris S.
1977 黒鹿
Roberto Hail to Reason Turn-to Royal Charger
Source Sucree
Nothirdchance Blue Swords
Galla Colors
Bramalea Nashua Nasrullah
Segula
Rarelea Bull Lea
Bleebok
Sharp Queen Princequillo Prince Rose Rose Prince
Indolence
Cosquilla Papyrus
Quick Thought
Bridgework Occupy Bull Dog
Miss Bunting
Feale Bridge Gold Bridge
Tolerate
Tee Kay
1991
Gold Meridian Seattle Slew Bold Reasoning Boldnesian
Reason to Earn
My Charmer Poker
Fair Charmer
Queen Louie Crimson Satan Spy Song
Papila
Reagent Rasper
Albany Isle
Tri Argo Tri Jet Jester Tom Fool
Golden Apple
Haze Olympia
Blue Castle
Hail Proudly Francis S. Royal Charger
Blue Eyed Momo
Spanglet Alibhai
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