[解 説]
当Web siteでは漢数字の馬齢は旧年齢表記、算用数字の馬齢は満年齢表記
タニノギムレットは1999年5月静内・カントリー牧場にて生まれた。父ブライアンズタイムは四冠馬
ナリタブライアン、菊花賞をはじめG1競走4勝の
マヤノトップガン、ダービー馬
サニーブライアン、オークス馬
チョウカイキャロル、
シルクプリマドンナ、有馬記念を勝った
シルクジャスティスなど、サンデーサイレンスには及ばないものの、毎年のようにG1路線で活躍する産駒を輩出している。芝2400mでの強さは特に秀でている。母タニノクリスタルは現役時40戦3勝。重賞勝ちこそないが、サファイアS(G3)を3着しており、準オープン馬として息の長い活躍をした。タニノクリスタルの母タニノシーバードはカントリー牧場のオーナー谷水雄三氏により名馬シーバードSea-Birdの産駒をアメリカ・ケンタッキー州の競り市で牧場の基礎牝馬として1973年に購入された。シーバードは通算8戦7勝。1965年に英国ダービーを楽勝し、同年の凱旋門賞も圧勝した歴史的な名馬であった。しかしアレフランスなど大物を出したものの、種牡馬成績は芳しくなく1973年他界した。タニノクリスタルの落札価格は7万ドル。当時のレートで2000万円を超えていた。アメリカで10戦2勝の成績を残し、1975年よりカントリー牧場で繁殖生活をはじめた。朝日チャレンジC(G3)などを勝ったタニノスイセイなど活躍馬を多く輩出した。タニノクリスタルの父クリスタルパレスは1974年フランス産馬。現役時代はフランスダービーを含む9戦3勝。1985年にフランスリーディングサイヤーとなっている。その年より日本で供用が開始され、1991年の天皇賞・秋を繰り上がりで優勝した
プレクラスニーなどを輩出している。
タニノギムレットは生産者でもある谷水雄三氏の持ち馬として栗東・松田国英厩舎に入厩した。ちなみにギムレットとはジンとライムジュースから作られるカクテルである。初出走は2歳の2001年8月、札幌の1000mダートの新馬戦。横山典弘騎手を鞍上に、1番人気で出走したが2着に敗れた。その後脚部不安が生じて、12月阪神1600mの未勝利戦を四位騎手を鞍上に勝ち上がった。
明けて3歳、2002年1月の
シンザン記念(G3)に再び姿を現した。武豊騎手に乗り代わり好位から抜け出してこれを快勝。続くアーリントンカップ(G3)も後続を突き放して完勝、雄躍東上して、スプリングS(G2)に駒を進めた。この頃になると直線で強烈な決め手を披露するタニノギムレットにスター性を期待する声も大きくなりつつあった。四位騎手は大外から豪快に追い込み1番人気に応えた。この勝ちっぷりから、皐月賞(G1)は当然のように1番人気に推された。しかし後方からよく追い込んだものの大外を回った不利が殊の外大きく、伏兵
ノーリーズンの3着に敗れてしまった。陣営は汚名を挽回するべく、ダービーの前にNHKマイルカップに出走する異例の選択をした。鞍上も武豊騎手の手に戻った。しかし直線で2度に渡る致命的な不利があって
テレグノシスの3着に敗れた。しかし不利がありながらもよく3着を確保したともいえた。
第69回日本ダービー(G1)は日韓共催によるサッカーワールドカップの開催直前ということで、どことなく競馬が忘れられた雰囲気もなきにもしもあらずで、空は今にも雨が降り出しそうな天気であった。タニノギムレットは単勝支持率30%弱の1番人気であった。今年になって6戦目の上、皐月賞からNHKマイルCを使っての異例の臨戦過程を懸念する声は確かに存在した。しかしこの馬の潜在能力とヒーローを渇望するファン、そしてかつて谷水オーナーの父信夫氏が生産した
タニノハローモアや
タニノムーティエが、同様に過酷な臨戦過程でダービーを制した事実が人気を押し上げたと考えられた。さらに松田調教師にしてみれば前年、NHKマイルCを制しながらダービーで5着に敗れた
クロフネの雪辱を晴らしたい気持ちも強く働いたのだろう。2番人気は皐月賞馬
ノーリーズン。3番人気は直前の青葉賞を勝ち上がった外国産馬の
シンボリクリスエスであった。
シンボリクリスエスは評判馬ではあったものの、クラシック戦線の一級馬と初対戦であったし、大型馬故の仕上がりの遅さが懸念された。結局、ファンの選択は正しいことが証明される結果となった。直線なかばで抜け出した
シンボリクリスエスをゴール寸前で捉えたのはタニノギムレットであった。鞍上の武豊は青葉賞で
シンボリクリスエスに騎乗していたことで敵をよく知っていたこと、いつもの確かなペース判断、そしてタニノギムレット自身の豊富なレース経験と豪快な末脚が、栄冠をもたらした。谷水雄三オーナーにとってはダービー初制覇となるが、父信夫氏の代からは32年ぶりの3回目のダービー制覇。武豊は史上初のダービー3勝騎手となった。また小泉総理大臣も表彰式に訪れ、新たなるヒーローの出現で祝福ムードに包まれた。
ところが菊花賞を目指して調整中のその年の秋に屈腱炎を発症。全治半年の診断を得て、引退を余儀なくされた。社台グループがいち早くブライアンズタイム系の種牡馬として導入を発表。社台スタリオンステーションで種牡馬生活を送ることになった。引退式は初年度種付けを終えた、2003年8月24日に札幌競馬場で執り行われた。
タニノギムレットはクラシックディスタンスだけでなく、種牡馬と成功するのに必要条件であるマイルに実績があり、サンデーサイレンス系、ミスタープロスペクター系、ノーザンダンサー系のいずれの牝馬にも配合できる幅広さがある。そのような期待された種牡馬タニノギムレットは初年度産駒から、2007年に牝馬にしてダービーを制した
ウオッカという超大物を輩出した。
ウオッカはその後も天皇賞・秋、ジャパンカップ、安田記念連覇など勝ち鞍を積み重ねた。他に2008年のスプリングSを勝ったスマイルジャック、2009年東京新聞杯を勝ったアブソリュートを出すなど、JRA重賞勝ち馬は13頭を数えた。2020年に種牡馬を引退し、北海道日高町のヴェルサイユリゾートファームで功労馬として繋養されている。
ダービー奪取に賭けたオーナーと調教師の熱意の前に、ダービーで競走生活を完全燃焼させられた感のあるタニノギムレットであった。ダービーで下した
シンボリクリスエスが同年及び翌年の天皇賞・秋、有馬記念を連覇したが、タニノギムレットが健在ならば果たしてここまで圧倒的な実績をあげることが出来たかどうか。
シンボリクリスエスにとっては唯一決着をつけることができなかった馬となった。
2005年2月19日筆
2009年6月19日加筆
2022年4月7日加筆