ワカタカ

Wakataka

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[競走成績] [実績] [血統表]

1929/生 1945/3/10没
牡  栗毛
父:トウルヌソル 母:種信(サラ系) (by イボア)
生産者:千葉・下総御料牧場(JPN)
馬主:乾鼎一氏
調教師:東原玉造(中山)

・中央所属時成績
四歳時11戦 7勝 東京優駿 帝室御賞典
五歳時10戦 5勝
中央通算 21戦12勝
全通算 21戦12勝

[解 説]
 ワカタカは1929年千葉・下総御料牧場にて生まれた。この下総御料牧場は現在成田空港の敷地の一部として供されている。父トウルヌソルは下総御料牧場が1927年に英国から11万4500円で輸入した種牡馬で、英国三冠馬ゲインズボローの仔である。小岩井農場が導入したシアンモアとともに昭和初期における日本の二大種牡馬の双璧として君臨した。ワカタカの他にもトクマサ、ヒサトモ、イエリユウ、クモハタ、クリフジのダービー馬。皐月賞馬クリヤマト、オークス馬テツバンザイ、桜花賞馬ソールレデイ、天皇賞馬ハツピーマイト、トキノチカラをなどを輩出した。今なお内国産牝馬にはトウルヌソルの影響が強く受けているものが多い。このワカタカはトウルヌソルの初年度産駒である。母種信の祖母ミラは1901年(明治34年)オーストラリアから輸入された。このミラの血統書は不明で純血のサラブレッドとは認めれず、「サラ系」と称せられる。「サラ系」は生産界から疎まれ、安馬の代名詞となっていた。しかしこのミラの子孫には二冠馬ヒカルイマイなど名馬を数多く輩出し、決して競走能力が劣っていたわけではない。ちなみに「サラ系」であっても8代連続でサラブレットと交配された仔はサラブレッドとしても認められるので、現在「サラ系」と称せられる馬はほとんどいない。
 1932年、神戸の実業家の3男で、中山競馬倶楽部の理事であった乾鼎一氏の持ち馬として、中山・東原玉造厩舎に入厩したワカタカは、3月の初出走こそ5着に敗れたが、2戦目の新呼馬で2着に10馬身差をつける圧勝で、ダービーは1番人気に支持された。
 1930年に2年後の春に四歳馬による複数回登録制による高額賞金競走を実施するとの趣意書が公表され、第1回登録頭数は168頭(牡92、牝76)に達した。この競走こそ「東京優駿大競走」いわゆる日本ダービーの始まりである。そして東京競馬第5日目の4月24日、19頭の参加を得て、目黒競馬場(当時東京競馬場)にて歴史的開幕を迎えたのである。一般の関心も高く、同年4月17日に行われた帝室御賞典(目黒)に続いてNHKラジオ(JOAK)による全国中継放送も行われた。しかしサクラはすでに葉桜、馬場は昨夜からの雨で不良であった。
 ワカタカの馬番は16。しかし枠順は1番であった。当時は現在のヨーロッパと同じく馬番と枠順は別だったのである。ワカタカと函館孫作騎手は絶好枠を利して飛び出し、逃げ切りを図る。尾形景造(藤吉、のちの大調教師)騎乗のオオツカヤマが追いすがるが、4馬身引き離し、栄えある第1回ダービー馬に輝いた。時計は2分45秒2優勝賞金は1万円。登録付加賞金は1万3530円。ちなみに当時の大学卒初任給は70円、大工の日当2円だったというから、破格の高額賞金である。付加賞金は登録料の割り戻し(1着60%)だが、本賞金よりも高額である。当時は馬主の負担が現在よりもはるかに大きかったのである。歴史のある割には競走条件があまり変わっていないダービーだが、この第1回と第2回は目黒(右回り)で行われたこと、斤量が牡55kg、牝53kg、各公認競馬倶楽部の競走の勝ち馬は収得賞金3000円ごとに1kg増となっていて、定量制ではなかった。
 その後、ワカタカは四歳時に横浜特別、そして帝室御賞典に勝った。五歳時も10月から復帰し、3戦目を12着と大敗した以外は2着以下はなく、通算21戦12勝で引退。1934年1月国有種牡馬として、日高種馬牧場に繋養された。サラ系であることが嫌われて生産界からは人気はなく、活躍馬は主にアラブだったという。1943年に廃用となり、大東亜戦争(太平洋戦争)も敗色濃い1945年3月10日、慢性肺気腫のため永眠。静内農学校(現静内高校)の用地内に埋葬されている。
 ワカタカは初代ダービー馬という事実だけで記録に残さねばならない馬である。近年の名馬でも死亡年月日が不明なことが少なくないのに、戦争中の混乱期にもかかわらず、それが記録に残っているということは、当時においてもワカタカが関係者によって大事にされていたという事実の証左であろう。
2003年8月23日筆

日付 競馬場 競走名 距離 馬場 頭数 人気 着順 時計 騎手 斤量 1着馬(2着馬)
1932/3/26 中山 新呼 1800 11 1 5 --- 函館孫作 55 サンデークラップ
1932/4/16 目黒 新呼 2000 稍不 11 2 1 2:11.0 函館孫作 56 (ハクセツ)
1932/4/24 目黒 東京優駿 2400 19 1 1 2:45.2 函館孫作 56 (オオツカヤマ)
1932/10/1 横浜 オールカマーハンデ 2000 稍不 8 3 3 --- 函館孫作 61 ヤマヤス
1932/10/3 横浜 呼馬 2000 稍不 4 2 1 2:09.1 函館孫作 60 (オオツカヤマ)
1932/10/9 横浜 横浜特別 3200 5 l 1 3:29.1 函館孫作 61 (アサハ)
1932/10/23 目黒 帝室御賞典 2000 5 1 1 2:07.2 函館孫作 56.5 (アスコット)
1932/10/30 目黒 農賞 3200 5 1 1 3:26.2 函館孫作 56 (ハクセツ)
1932/11/26 中山 古呼特ハン 2000 8 1 1 2:07.2 函館孫作 61 (アスコット)
1932/11/27 中山 中山特別 2400 6 1 2 --- 函館孫作 65 ハクコウ
1932/12/4 中山 優勝 2600 8 1 3 --- 函館孫作 63 ゼンソ
1933/10/7 横浜 呼馬 1800 8 2 1 1:55.1 函館孫作 68 (キングドウザー)
1933/10/22 横浜 優勝 2400 稍不 5 2 2 --- 函館孫作 66 ハクコウ
1933/10/28 中山 古呼特ハン 2000 12 5 12 --- 函館孫作 65 ハクセツ
1933/11/3 中山 呼馬ハンデ 1800 稍不 11 1 1 1:56.3 函館孫作 66 (イワウメ)
1933/11/5 中山 中山秋季五歳特別 3200 4 2 2 --- 函館孫作 62 ハクコウ
1933/11/11 中山 優勝 2600 8 2 1 2:55.0 函館孫作 68 (ハッピーランド)
1933/11/25 目黒 五歳特別 2400 11 1 2 --- 函館孫作 68 ハクセツ
1933/12/1 目黒 新古ハンデ 1800 11 1 2 --- 函館孫作 71 イサハヤ
1933/12/2 目黒 新古 1800 6 1 1 2:03.1 函館孫作 73 (アートフル)
1933/12/3 目黒 優勝 2600 稍不 8 2 1 2:55.0 函館孫作 71 (キクノハナ)

距離別実績
距離区分 1着 2着 3着 連対率 主な勝鞍
1400m未満 Sprint 0.000
1400〜1900m未満 Mile 53100.800
1900〜2200m未満 Intermediate 64010.667 1932帝室御賞典
2200〜2800m未満 Long 73310.857 1932東京優駿
2800m以上 Extended 32101.000
芝コース通算2112520.810 

競馬場別実績
競馬場 1着 2着 3着 連対率 主な勝鞍
目黒86201.000 1932東京優駿 1932帝室御賞典
横浜53110.800
中山83210.625
通算2112520.810 

5代血統表
トウルヌソル
Tournesol
1922 鹿
Gainsborough Bayardo Bay Ronald Hampton
Black Duchess
Galicia Galopin
Isoletta
Rosedrop St.Frusquin St.Simon
Isabel
Rosaline Trenton
Rosalys
Soliste Prince William Bill of Portland St.Simon
Electric Light
La Vierge Hampton
Elizabeth
Sees Chesterfield Wisdom
Bramble
La Goulue Prism
Rosary
種信
1918
イボア Hackler Petrarch Lord Clifden
Laura
Hackness Albert Victor
Cicely Hackett
Lady Gough Lord Gough Gladiateur
Battaglia
Clear Case Arbitrator
Estella
第二ミラ 第二スプーネー スプーネー Forlorn Hope
Sweetheart
第三ウォールダンスベリー ブラドレー
ウォールダンスベリー
ミラ 不明 不明
不明
不明 不明
不明


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