我が国は長らく生産界を除いて競走馬に関しては鎖国状態を続けていて、日本馬が海外遠征しても結果を残せないでいた。1970年代後半に「世界に通用する強い馬づくり」が提唱され、その一環として、日本において国際競走を施行し、国外から強豪を招待して我が国の競走馬と競わせ、日本のサラブレッドの質的向上を図ろうという機運が盛り上がり、1981年より施行された。時期は欧米のオフシーズンとなる11月下旬が選ばれ、コースはダービーと同じ、東京2400mとした。初年度は知名度の低さからアメリカの二流馬しか招待できなかったが、アメリカの牝馬メアジードーツが日本レコードで快勝し、日本馬は完膚無きに叩きのめされた。翌年は欧州とオセアニア地区も招待の対象となった。しばらくは外国馬の優勝が続いたが、第4回の1984年、人気薄カツラギエースの逃げ切り勝ちで日本馬が初優勝した。以降は地の利を生かした日本馬がその質的向上もあって外国馬と互角以上に渡り合えるようになってきている。