天皇賞は1937年(昭和12年)12月3日が第1回とされており、ダービーより約4年半の遅れての開催となっている。しかし天皇賞には「御賞典」と呼ばれていた前身時代があり、その原点は遠く明治38年に遡る。競馬界のいうクラシックレースは3歳限定5大競走だけを指すが、原意の伝統的なレースとなると天皇賞以上のレースは存在しない。その「御賞典」は後に「帝室御賞典」と称され、東京、横浜、阪神、札幌、函館、福島、小倉の七競馬場で行われていたが、それぞれ独自の競走条件で行われていて、競走名こそ同じであるものの統一されたものではなかった。日本競馬会が各クラブを統合した年の翌年、1937年秋を期して春は阪神、秋は東京の二季制で行われることになった。現行の天皇賞はこの年から起算している。戦前は「帝室御賞典」の名称がそのまま受け継がれていた。戦時中の中断後1947年春「平和賞」として復活。同年秋より「天皇賞」と名称が変更された。開催競馬場は春が1944年より阪神から京都に移った。その後は原則として春は京都、秋は東京で行われている。距離は1938年より3200mで行われ、4歳以上の古馬の最高の栄誉とされた。今でも天皇賞にダービー、有馬記念以上の価値を見いだす馬主は少なくない。一度この栄誉に輝いた馬は二度出走できない規定があったが、1981年にその規定が除かれ、さらに天皇賞の開催時期に国際招待競走ジャパンカップが創設され、天皇賞はその1ヶ月前の10月末前後に行われるようになった。
1984年グレード制が発足したのを期に、秋季開催が2000mに短縮され中距離馬の一大目標にその性格を改めることになった。その初年度に前年の三冠馬ミスターシービーが勝ち、その権威付けに大きく貢献した。1986年より3歳馬にも開放された。いわゆるマイラーと呼ばれる短距離馬にとっても2000mの天皇賞・秋は後の種牡馬入りの際に大きな勲章となるので、果敢に挑戦することもしばしばで、一流の中距離馬と短距離馬、そしてジャパンカップ・有馬記念を目指す長距離馬がぶつかり合う、日本で最もレベルの高い競走が繰り広げられている。