[解 説]]
当HPでは漢数字の馬齢は旧年齢表記、算用数字の馬齢は満年齢表記
エアジハードは社台ファームにて生まれた。父
サクラユタカオーは1986年の天皇賞・秋を日本レコードで制しており、その半兄にはスプリント路線で活躍したサクラシンゲキがいる。代表産駒としては
サクラバクシンオーがスプリンターズSを連覇している。母アンジーゴールドの競走成績は平凡だが、その母
シャダイアイバーはオークス馬である。
(株)ラッキーフィールドの所有馬として、美浦伊藤正徳厩舎に預けられた。三歳12月の中山新馬戦と2月の条件戦と連勝。しかし2番人気に支持されたスプリングSは4着に敗戦。クラシック路線は諦めてNHKマイルCに出走し、
エルコンドルパサーの8着と惨敗した。もっとも外国産馬の強豪揃いの出走メンバーにあって、父内国産馬の彼は10番人気でしかなかった。その後条件戦を連勝して、東京1400mの富士Sに挑戦。好位から鋭く伸びて古馬相手に初重賞勝ちをおさめた。
五歳を迎えると、いよいよマイラーとしての素質を開花し始める。4月の新潟オープン谷川岳ステークスから始動。1番人気に支持されたがナリタプロテクターに首差差しきられた。続く京王杯SCでも果敢に先行したが前年の有馬記念馬
グラスワンダーに差しきられた。惜敗の連続に鞍上の蛯名騎手は道中は我慢させて末脚勝負に賭ける作戦に変更。安田記念ではその策が図に当たり、
グラスワンダーをハナ差捉えることに成功した。この勝利をフロック視する向きもあったが、次の秋2走はそれを払拭することになる。
秋緒戦は天皇賞・秋。ハイペースの流れで内ラチ沿いを先行して、
スペシャルウィークの3着に粘った。初体験の距離、相手関係を考えれば満足の行く結果であった。実力を認めたファンは次のマイルCSでは本命1番人気に支持した。京都マイルコースの定石通り先行抜け出して、
キングヘイロー以下に危なげなく完勝。その後国際G1香港カップに出走するため現地入りしたが、直前故障発生のため無念の出走取消。そのまま引退して種牡馬生活に入ることになった。
種牡馬生活にはいったエアジハードは受精能力の落ちた父
サクラユタカオーに代わる存在として期待され、多くの繁殖牝馬が集まった。しかし期待に応える産駒は出現せず、2017年には種牡馬を引退。その後は小国スティーブルにて功労馬として余生を送っている。それでも2010年4年目の産駒から
ショウワモダンが安田記念を制し、父仔制覇を達成している。
安田記念、マイルCSを連覇したことで一流マイラーの評価を得たエアジハードだが、本来は父
サクラユタカオーがそうであるように、2000mまでなら十二分に戦える能力は備わっていたと思われる。それだけに香港カップの取消は惜しまれた。2000/6/10筆
2022年4月2日加筆