[解 説]
当Web siteでは漢数字の馬齢は旧年齢表記、算用数字の馬齢は満年齢表記
イクイノックスは2019年3月23日北海道安平町のノーザンファームにて生まれた。父
キタサンブラックは無敗の三冠馬
ディープインパクトの兄ブラックタイドの産駒で、日本を代表する演歌歌手北島三郎が実質的なオーナーであることで話題となった。菊花賞を勝ってから本格化し天皇賞を3勝、ジャパンカップ、有馬記念他GI競走を7勝した。種牡馬としてはさほど期待されていなかったが初年度からイクイノックスを輩出した。その次の年には
ソールオリエンスが皐月賞を勝ち、今後も産駒成績が期待される。母シャトーブランシュはノーザンファームの生産馬で現役時代はマーメイドS(GIII)を含む25戦4勝。イクイノックスは3番仔で2番仔のヴァイスメテオールはラジオNIKKEI賞(GIII)を勝っている。母の父
キングヘイローは現役時代は27戦6勝。GIは1200mの高松宮記念を勝っただけだが、本来はクラシックディスタンスで戦える能力のあった馬だった。代表産駒としてはオークス・秋華賞に勝った
カワカミプリンセスなどがいる。ノーザンファームの関係者は生まれた仔馬を父
キタサンブラックのように奥手の長距離馬であろうと予想していた。
父母の鹿毛とは全く違う漆黒の青鹿毛馬は、一口馬主クラブシルクレーシングの所有馬として総額4000万円で募集されイクイノックスと名付けられた。ちなみにイクイノックスとは昼夜の長さが同じ日、日本では春分あるいは秋分の日とされている日を意味する。おそらく父
キタサンブラックの「黒」と母シャトーブランシュがフランス語で「『白い』城」を意味することから、黒が夜、白が昼として、黒と白から半分ずつ血を受け継いで、また生まれた日が春分の日の2日後だったことからこの馬名が選ばれたのではと思われる。イクイノックスはノーザンファーム早来で鍛えられ、美浦・木村哲也厩舎に入厩した。ところが木村師が所属騎手に対するパワハラを因する3ヶ月間の調教停止処分を受け、初出走は一時転厩先の岩戸厩舎で迎えることになった。
2021年8月28日、新潟の2歳新馬戦はルメール騎手を鞍上に据えられ、好位から抜け出して2着に6馬身差をつけて快勝した。この新馬戦には後にGI戦線で活躍する
サークルオブライフ、ウィルソンテソーロが出走していた。木村師の元に戻ったイクイノックスの次戦は東京スポーツ杯2歳Sで、後方待機から直線で上がり3F32秒台の末脚を繰り出し、父
キタサンブラックに初めての重賞制覇をもたらした。
2022年3歳となったイクイノックスは皐月賞にぶっつけで挑んだ。関係者はこの馬が本格化するのは秋以降と見なしていたので春季は無理をさせず、皐月賞はあくまでダービー以降の一叩きと考えていた。その皐月賞の1番人気には朝日杯の勝ち馬の
ドウデュース、2番人気には共同通信杯を勝った無敗馬ダノンベルーガが支持された。イクイノックスは無敗馬ではあったものの久々を嫌われて3番人気であった。大外枠から中団につけ、絶好の手応えで抜け出したものの、最後に同じ木村厩舎の
ジオグリフに差し切られ2着に終わった。続く5月のダービーは陣営は本気で仕上げて挑み、2番人気に支持された。ルメール騎手は後方待機から末脚に賭ける騎乗で挑んだ。目論見通りの展開になったものの、GI最多勝騎手にしてダービーを5勝していた武豊騎乗の
ドウデュースを捉えることができず2着に敗れた。春季クラシックは未勝利に終わったイクイノックスは、菊花賞ではなく天皇賞・秋を目標に調整された。
第166回天皇賞・秋は10月30日晴良馬場の東京競馬場で開催された。イクイノックスは1番人気に支持された。他の出走馬としては前年のダービー馬シャフリアール、大阪杯を勝った
ジャックドール、同期の
ジオグリフなどがいたが、イクイノックスの末脚を持ってすれば難しい相手ではないと思われた。ところがレースは誰もが予想外の展開となった。ドバイターフを勝ちながらも7番人気と低評価だったパンサラッサが4コーナーで後続を10馬身引き離す大逃げを打ったからである。プリティキャストが勝った1980年の天皇賞の再現かと観客席が騒然となる中、イクイノックスがパンサラッサを一完歩ずつ追い詰め、最後はパンサラッサに1馬身差をつけて優勝した。鞍上ルメール騎手の冷静なペース判断とイクイノックスの末脚が光った。
キタサンブラック産駒で初めてのGI馬となった。またこの年のG1競走はことごとく1番人気が敗れており、それに終止符を打つ勝利でもあった。陣営はイクイノックスをジャパンカップは来年に回し、有馬記念に直行させた。
第67回有馬記念は12月23日、晴良馬場の中山競馬場で開催された。この有馬記念には天皇賞・秋よりも手強い相手が揃っていた。まずは天皇賞・春と宝塚記念を連勝した
タイトルホルダー。勇躍挑戦した凱旋門賞は11着と惨敗したが古馬牡馬陣では1番手の評価だった。苦労の末ジャパンカップを勝った
ヴェラアズールも本格化を予感させていた。前年の覇者
エフフォーリアは近走は冴えない成績ながらも見限れない力を評価されていた。またあの
ジェンティルドンナの娘
ジェラルディーナもエリザベス女王杯を手土産に赤い怪気炎を上げていた。しかしファン投票は3位と1位のタイトルフォルダーに及ばなかったものの、1番人気に支持されたのはイクイノックスだった。天皇賞・秋からのゆったりした臨戦過程も評価されたようであった。2番人気はタイトルフォルダーで、この有馬記念に勝った方が年度代表馬に選出されるだろうと思われ、ファンは両者の一騎打ちを期待した。しかしレースはあっさりと決着がついた。タイトルフォルダーがマイペースで逃げたものの、直線手前で手応えを失い9着に自滅。それに対してイクイノックスは好位から一気に捲って4コーナーで先頭に立って突き放し、3歳馬ボルドグフーシュの追い込みを2馬身半封じて優勝した。6戦の出走実績で有馬記念を制するのは史上最短であった。この勝利によりイクイノックスは最優秀3歳牡馬と年度代表馬として表彰された。また国際競馬統括機関連盟のホースランキングでオーストラリアのネイチャーストリップに世界第3位となる並ぶ126ポンドに評価された。
翌2023年4歳となったイクイノックスは国内競走に目もくれず。3月末のドバイシーマクラシックに招待され出走した。好スタートから先頭に立つと、楽な手応えで直線を迎えた。ムチを入れるどころか、ルメール騎手が後ろを振り向いて追うのもやめたにもかかわらず、2着のウエストオーバーに3馬身半差、勝ち時計も従来のレコードを1秒短縮する圧巻の逃げ切り勝ちを納めた。この完勝っぷりによりホースランキングは129ポンドとこの時点で世界第一位に評価された。陣営は次走は宝塚記念と表明した。その後は凱旋門賞挑戦は断念し天皇賞・秋、ジャパンカップに出走し引退することになった。
第64回宝塚記念は6月25日、晴・良馬場の阪神競馬場で開催された。イクイノックスはファン等投票、単勝人気とも第1位と圧倒的な高評価となった。スタートで躓いたもののゆったりと最後方前に構え、3コーナーで位置を上げると、4コーナーは外を回って抜け出しを図った。スリーセブンシーズの追撃でクビの差まで迫られたものの、人気に応えて優勝した。ルメール騎手はクビ差と迫られたものの、これは余裕の内、他馬と実力が段違いだからこんな力技でも通用すると思ったに違いない。父
キタサンブラックは圧倒的1番人気で迎えられた宝塚記念で謎の失速をして完敗したが、息子がしっかりと借りを返した。夏場は休養し秋に備えた。
第168回天皇賞・秋は10月29日、晴良馬場の東京競馬場で開催された。新型コロナ感染症が5類に移行されたことで、府中に天皇陛下を迎え、令和初の天覧競馬となった。イクイノックスはもちろん1番人気で単勝支持率は57,6%を記録した。そもそもイクイノックス相手では分が悪いと出走馬がわずか11頭であった。イクイノックスをダービーで下した
ドウデュースが対抗として支持されたが、主戦の武豊騎手が直前で負傷し戸崎騎手に乗り替わりとなりこちらは不安材料が増えた。
ジャックドールの逃げは前半1000mを57秒7というハイペースだった。イクイノックスはこの厳しい流れの3番手につけ、直線半ばでは先頭に立った。天皇賞・春を勝った
ジャスティンパレスが追い込んできたもののこれを封じて、天皇賞・秋2連覇を達成した。勝ち時計は1分55秒2という当時の世界レコードだった。イクイノックスをマークしていた
ドウデュースはハイペースで失速し9着に後退、逃げた
ジャックドールは最下位だった。2着の
ジャスティンパレスは後方からの末脚に賭けた競馬であった。前にいた馬が軒並み潰れ、追い込み馬が有利な展開にも関わらず、ハイペースを諸ともせずに、日本レコードの末脚を発揮した。天皇陛下の御前でイクイノックスは圧倒的実力を見せつけた。
第43回ジャパンカップは晴良馬場の東京競馬場で開催された。イクイノックスは単勝支持率57%の圧倒的1番人気。もはや対戦済みの馬ではイクイノックスに勝てる馬は存在しないのはないかというのがファンの一般的な認識で、未対戦のこの年無敗で牝馬三冠を達成したリバティーアイランドにその期待を掛けられた。そのリバティーアイランドにしてもイクイノックスには歯が立たなかった。前年の天皇賞・秋のように大きく離して逃げるパンサラッサの3番手につけると、軽く追い出すと直線半ばで先頭に立った。リバティーアイランドは全力の末脚で追撃したが相手が悪かった。イクイノックスはリバティーアイランドに4馬身差をつけて完勝。空前のGI競走6連勝で引退の花道を飾った。この勝利で優勝賞金5億円を手にし、総獲得賞金は22億1544万円となり、史上初の20億円越えとなった。
陣営は有馬記念出走を仄めかしていたものの、無理をせずにこのジャパンカップで引退することになった。12月16日の中山で引退式が行われた。翌年、イクイノックスは最優秀4歳以上牡馬と年度代表馬として表彰された。また2023年度の世界サラブレッドランキングで135ポンドを記録した。これは
エルコンドルパサーの134ポンドを越えるもので、同年の最高値であった。つまりイクイノックスは歴代日本一とともに世界一の馬となったのである。
2024年イクイノックスは社台スタリオンステーションで種牡馬として供用された。初年度の種付け料は2000万円に設定された。
ディープインパクトが1200万円であったことを考えると期待の大きさをうかがえる。GI9勝の
アーモンドアイとの交配も予定されている。
逃げてよし、差してよしの自在の脚を駆使し、ペース不問で強烈な末脚を発揮して他馬をねじ伏せた。
ジャスティンパレスの杉山調教師は「欠点のない理想的なサラブレッド」と評し、主戦を務めたルメール騎手は「とても賢くておとなしい。ポニーのように誰でも簡単に乗れる馬」と賛辞を送った。イクイノックスは日本競馬史上に残る金字塔を樹立した馬ではあるが、その戦績に不満があるとすれば、ダービーで負けていることと凱旋門賞に挑戦しなかったことだろう。ダービーは馬がほんの少し経験不足だったこともありドゥデュース騎乗の武豊の熟練の技に屈した。やはり全ての競馬人の目標であるダービーに負けているのはその後の戦績で挽回しているといっても瑕疵となっていると考える人もいることだろう。凱旋門賞についてはドバイシーマクラシックが圧勝だったことを考えると、優勝の確率はかなり高いと思われたが、挑戦して負けるリスクより、より賞金が高いジャパンカップを勝って世界一の称号を得る方が、クラブ馬主の経済も潤うし、
キタサンブラックの後継種牡馬として価値を高めることができるという判断だったのだろう。イクイノックスは日本の馬産水準を一段引き上げたことは間違いない。日本の馬が凱旋門賞を制する日はもう遠くはないと思われる。もしその馬がイクイノックスの仔であれば、父のわずかな心残りも一気に晴らすことになるだろう。
2024年3月10日筆