カツラノハイセイコ成績
1976/5/13生 2009/10/8没
牡  黒鹿毛
父:ハイセイコー 母:コウイチスタア (by ジャヴリン)
生産者:浦河・鮫川三千男(JPN)
馬主:桂土地(株)
調教師:庄野穂積(栗東)

・中央所属時成績
三歳時 6戦 1勝
四歳時 8戦 4勝 東京優駿
五歳時 5戦 1勝
六歳時 4戦 2勝 天皇賞・春
中央通算 23戦 8勝
全通算 23戦 8勝
[解 説]当HPでは漢数字の馬齢は旧年齢表記、算用数字の馬齢は満年齢表記
 カツラノハイセイコは1976年5月13日、北海道浦河の鮫川三千男牧場にて生まれた。父ハイセイコーは地方競馬大井で6戦6勝の実績を引っさげて中央入りすると、皐月賞を含む10連勝でダービーに挑むも、タケホープの3着に敗れた。その後大レースの勝ち鞍は宝塚記念を加えたのみながら、地方からのし上がり健気に走る姿は老若男女の心を打ちハイセイコーブームを巻き起こした。中央での成績は16戦7勝ながら、中央競馬への貢献を評価されて1984年に顕彰馬として殿堂入りしている。種牡馬としてもこのカツラノハイセイコの他、1989年エリザベス女王杯のサンドピアリス、1990年皐月賞のハクタイセイを輩出、ライフタテヤマなどダートにも強く、地方競馬でもキングハイセイコなど大きな足跡を残した。母コウイチスタアは現役時12戦1勝。鮫川牧場の仔分けでその母系は小岩井農場がイギリスから輸入した名牝フロリースカップにさかのぼる。フロリースカップの娘スターリングモアは1929年鮫川三千男の祖父が当歳で買い取り、帝室御賞典を含む10勝を挙げた。このスターリングモアの子孫としては桜花賞と天皇賞に勝ったヤシマドータや天皇賞馬リキエイカンなどがいる。コウイチスタアの父ジャブリンは1957年アイルランド産の名血で1965年より日本で供用された。コウイチスタアも当然繁殖馬として期待された。しかし4年間不受胎が続き、5年目の初産駒がカツラノハイセイコであった。祖先のスターリングモアは小柄な馬であったが、このカツラノハイセイコも大きく育たなかった。しかしこの黒鹿毛のハイセイコーの初年度産駒は、棹性が強く闘志は備わっている様子であった。
 桂土地の持ち馬としてカツラノハイセイコは栗東の庄野厩舎に入厩した。カツラノは馬主の冠名で、その後ろは父馬の名前からとった。ちなみにハイセイコーではなくハイセイコなのは日本の馬名は9文字以内と決まっているためで、現役当時よくネタにされていた。カツラノハイセイコは1978年9月1日札幌の新馬戦で作田誠二騎手を鞍上に初出走。しかし4着に終わり、未勝利戦を5着、2着し、4戦目の未勝利戦を福永洋一騎手を鞍上に初勝利した。その後は特別を2着3着と惜敗し三歳を終えた。
 四歳となった1979年、正月京都で再始動すると、カツラノハイセイコは特別戦を3連勝した。その間福永洋一騎手は先約があったので兄弟子である松本善登に乗り替わってた。3月美浦に移動し、スプリングSで初重賞に挑戦。ここでは重賞3連勝を達成したリキアイオーの逃げは捕らえられなかったものの、首差の2着は皐月賞への期待を膨らませた。しかし皐月賞直前に熱発してしまい、どうにか間に合って5番人気であった。道中は後方に置かれたが、持ち前の根性でよく追い上げてビンゴガルーの2着となった。その後東京コースに慣れさせるため、NHK杯に出走。2番人気に支持されるも、早仕掛けで末脚をなくし、ロングエースの仔テルテンリュウの3着に敗れた。
 第46回日本ダービーは曇・良馬場の東京競馬場で開催された。カツラノハイセイコはビンゴガルーテルテンリュウを抑えて1番人気に支持された。実力が均衡する中で1番人気に支持されたのは、父ハイセイコーが勝てなかったダービーに勝たせたいというファンの心理が働いたものと思われる。7番枠から1コーナー10番手以内というダービーポジションを確保したカツラノハイセイコは、緩みのないペースに身を置いて、直線手前ではライバルを尻目に3番手につけた。直線の内ラチ沿いを駆けるカツラノハイセイコ。残り300mでテルテンリュウが内側に切れ込み馬体を合わせてきた。2頭に挟まれたリキアイオーは後退し、虎視眈々と狙っていた抽籤馬リンドプルバンはその煽りを食らった。440キロと小柄なカツラノハイセイコは500キロ近いテルテンリュウにぶつけられても怯むことなく、闘志をむき出しにし、逆にテルテンリュウを退け、ゴールを目指した。そこへ体勢を立て直したリンドプルバンが外から襲いかかった。鼻面を揃えたところがゴールだった。長い写真判定の結果、カツラノハイセイコに軍配が上がった。父ハイセイコーが3着に敗れたダービーに勝った。ファンはドラマに酔いしれた。この年45歳の松本善登騎手は初のクラシック勝ちとなった。勝ち時計2分27秒3はダービーレコードで、父内国産馬の勝利はコマツヒカリ以来実に20年ぶりであった。
 四歳秋のカツラノハイセイコは肺炎を患ったり、鼻骨を折ったりして順調さを欠き、京都新聞杯に出走したものの10着に敗れ、1年近くの休養に入った。
 五歳秋、復帰したカツラノハイセイコは1980年9月阪神のオープン特別サファイアSに、河内洋騎手を鞍上に迎えて2着、続く京都大賞典と目黒記念を1番人気に支持され3着、1着にまとめた。馬体はダービーの頃より20キロ増え、充実の秋を迎えたとファンに見なされ、11月の天皇賞・秋では1番人気に支持された。しかし牝馬プリテイキャストの大逃げに幻惑され、有力視されたホウヨウボーイとともに6着に沈んだ。続く有馬記念はファン投票では1位だったものの、天皇賞の後遺症から3番人気に落ちた。直線早めに先頭に立つも、肝心のところで外によれてしまい、ホウヨウボーイにハナの差敗れた。
 六歳となったカツラノハイセイコは1981年3月の阪神マイラーズカップから始動。得意とは思えない1600mで、最後方からウエスタンジョージ以下をごぼう抜きにした。続く大阪杯は59キロの斤量と不良馬場で動きが悪く6着に敗れた。
 第83回天皇賞・春は小雨・稍重の京都競馬場で開催された。カツラノハイセイコは直前にカイバ量が落ちて完調とまではいかなかった。しかしモンテプリンスホウヨウボーイなど有力な関東馬が西下しなかったため、リンドプルバンに次ぐ2番人気に支持された。ダービー以来の440キロ台に落ちたカツラノハイセイコは道中を中団につけ、直線で真ん中を割って抜け出した。地方からやってきた484キロの大柄なカツアールと長いたたき合いを演じた。カツアールに何度もぶつけられながらも、持ち前の根性で、クビの差振り切って優勝した。父ハイセイコーが6着と敗れた天皇賞に勝ち、孝行息子ぶりを発揮した。また父内国産馬としての勝利はアサホコ以来16年ぶりであり、ダービー馬による天皇賞制覇はタケホープ以来8年ぶり5頭目であった。
 その後宝塚記念はカツアールに雪辱された2着に敗れた。秋は第1回ジャパンカップを目指したが、深管骨瘤が悪化して引退。そのジャパンカップが開催された1981年11月22日、京都競馬場で引退式が行われた。その1か月後の12月14日、かつての相棒松本善登がガン性腹膜炎で46歳の若さで亡くなった。
 カツラノハイセイコは中央競馬会に種牡馬として1億2000万円で買い取られ、青森の七戸種馬場にて、種牡馬生活に入った。しかし青森は繁殖牝馬の質が低く、順風満帆とはいかなかった。公営では関東オークスのハルナオーギ、東京記念のテツノセンゴクオーなど活躍馬がいるのだが、中央ではユウミロクがメジロラモーヌの勝った1986年のオークスを2着し、翌年のカブトヤマ記念を勝ったのが目立つ程度だ。しかしこのユウミロクがダイヤモンドSと目黒記念を勝ったユウセンショウ、中山グランドジャンプを含む障害重賞を3勝したゴーカイ、中山大障害を勝ったユウフヨウホウの母となっている。種牡馬引退後は栃木県の日本軽種馬協会那須種馬場で余生を過ごしていたが、2009年10月8日に老衰のため永眠した。
 中央競馬のイメージアップに大きく貢献した稀代のアイドルホース、ハイセイコー。そのハイセイコーが勝てなかったダービーと天皇賞に勝ったカツラノハイセイコは父の名を高めたという点で孝行息子といえる。実際問題、親仔2代のダービー馬または天皇賞馬というのは並大抵では達成されないが、父が勝てなかった2つの大レースを仔が勝つというのはそれ以上に至難の業である。何故ならダービーと天皇賞に共に敗れた馬は種牡馬になることが難しく、例えなったとしても繁殖馬に恵まれないのが普通だからだ。また名馬は数多くいるものの、全てのホースマンの目標であるダービーと、古馬の大目標である天皇賞の両方を勝った馬は2011年現在10頭を数えるのみである。優秀な競走成績を収め、娘が重賞を勝ち、2頭の孫が中山グランドジャンプと中山大障害を勝った。カツラノハイセイコは名馬と呼ぶに十分だろう。
2012年3月31日筆
競走成績
日付 競馬場 競走名 距離 馬場 頭数 人気 着順 時計 騎手 斤量 馬体重 1着馬(2着馬)
1978/9/1 札幌 新馬 ダ1000 9 5 4 1:03.5 作田誠二 52 446 パンナムシロー
1978/9/10 札幌 未出未勝 ダ1000 11 8 5 1:01.3 作田誠二 52 440 チェリータイガー
1978/10/14 京都 未勝利 ダ1200 10 4 2 1:15.2 作田誠二 52 442 シュウザンアロー
1978/11/11 京都 未勝利 ダ1200 14 1 1 1:14.7 福永洋一 53 440 (シルクタイテー)
1978/12/2 阪神 かえで賞 1600 7 4 2 1:38.0 福永洋一 53 442 ネーハイジェッット
1978/12/16 阪神 さざんか賞 1300 14 10 3 1:17.2 作田誠二 53 440 イナドコトブキ
1979/1/7 京都 呉竹賞 1400 11 2 1 1:23.6 福永洋一 54 440 (ニチドウアラシ)
1979/1/28 京都 ジュニアカップ 1600 8 3 1 1:36.8 松本善登 54 438 (テルテンリュウ)
1979/2/17 京都 四歳ステークス 1600 11 1 1 1:36.5 松本善登 55 440 (レッドルーラー)
1979/3/25 中山 スプリングステークス 1800 10 1 2 1:50.0 松本善登 56 436 リキアイオー
1979/4/15 中山 皐月賞 2000 15 5 2 2:02.4 松本善登 57 432 ビンゴガルー
1979/5/6 東京 NHK杯 2000 14 2 3 2:01.2 松本善登 56 438 テルテンリュウ
1979/5/27 東京 東京優駿 2400 26 1 1 2:27.3 松本善登 57 440 (リンドプルバン)
1979/10/21 中京 京都新聞杯 2000 13 4 10 2:02.5 松本善登 57 450 ファインドラゴン
1980/9/7 阪神 サファイヤステークス 1600 8 6 2 1:36.6 河内洋 57 456 ニチドウアラシ
1980/10/12 阪神 京都大賞典 2400 8 1 3 2:32.6 河内洋 57 458 シルクスキー
1980/11/2 東京 目黒記念 2500 11 1 1 2:32.5 河内洋 58 462 (シルクスキー)
1980/11/23 東京 天皇賞・秋 3200 11 1 6 3:30.1 河内洋 58 460 プリテイキャスト
1980/12/21 中山 有馬記念 2500 12 3 2 2:33.7 河内洋 57 456 ホウヨウボーイ
1981/3/8 阪神 マイラーズカップ 1600 10 3 1 1:37.5 河内洋 58 450 (ウエスタンジョージ)
1981/4/4 阪神 大阪杯 2000 8 1 6 2:08.0 河内洋 59 446 サンシードール
1981/4/29 京都 天皇賞・春 3200 14 2 1 3:20.6 河内洋 58 446 (カツアール)
1981/6/7 阪神 宝塚記念 2200 13 1 2 2:14.3 河内洋 57 452 カツアール
距離別実績
距離区分 1着 2着 3着 連対率 主な勝鞍
1400m未満 10010.000
ダート1400m未満 41100.500
1400〜1900m未満 74301.000
1900〜2200m未満 40110.250
2200〜2800m未満 52210.800 1979東京優駿
2800m以上 21000.500 1981天皇賞・春
芝コース通算197630.684 
ダートコース通算41100.500 
競馬場別実績
競馬場 1着 2着 3着 連対率 主な勝鞍
京都65101.000 1981天皇賞・春
中京10000.000
中山30301.000
札幌20000.000
阪神71320.571
東京42010.500 1979東京優駿
通算238730.652 

5代血統表
ハイセイコー
1970 黒鹿
チャイナロック Rockefella Hyperion Gainsborough
Selene
Rockfel Felstead
Rockliffe
May Wong Rustom Pasha Son-in-Law
Cos
Wezzan Friar Marcus
Woodsprite
ハイユウ カリム Nearco Pharos
Nogara
Skylarking Mirza
Jennie
ダルモーガン Beau Son Beau Pere
Banita
Reticent Hua
Timid
コウイチスタア
1968 黒鹿
ジヤヴリン Tulyar Tehran Bois Roussel
Stafaralla
Neocracy Nearco
Harina
Sun Chariot Hyperion Gainsborough
Selene
Clarence Diligence
Nun's Veil
ミタケ タカクラヤマ セフト Tetratema
Voleuse
峰城 トウルヌソル
月城
第三スターリングモアノ一 トビサクラ プリメロ
フライアースメードン
第三スターリングモア 月友
スターリングモア
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