[解 説]
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ノースフライトは1990年4月12日浦河・大北牧場にて生まれた。父トニービンはイタリア馬として久々に凱旋門賞を制し、1988年のジャパンカップに出走して5着。その後社台グループが種牡馬として約5億円で購入した。代表産駒としては桜花賞、オークスを制した
ベガ、ダービー馬ウィニングチケットと
ジャングルポケット、オークスと天皇賞・秋を勝った
エアグルーヴ、天皇賞・秋を勝った
サクラチトセオー、
オフサイドトラップなどがいる。産駒は全体的に広々とした東京コースを得意とする馬が多い。母シャダイフライトは1973年生まれで現役時代は18戦2勝。シャダイの冠号で推測されるがこの馬は社台ファームの生産馬である。シャダイフライトの父ヒッティングアウエイは1971年、社台ファームの総帥吉田善哉氏が期待を込めて購入したアメリカ産種牡馬だが、オキノサコンら障害で実績をあげたものの、平地ではほとんど活躍馬を出すことなく終わった。母フォワードフライトも1972年アメリカから輸入した繁殖牝馬。これも直仔で活躍馬を輩出できなかった。1989年、シャダイフライトは社台ファームの繁殖牝馬セールで売りに出された。セリ会場の雰囲気に飲まれ緊張の色を隠せないシャダイフライトに、大北牧場場主の斎藤敏雄のほかに声をかける人は誰一人いなかった。トニービンの仔を腹に宿していることをかんがえれば落札価格は410万円と格安だった。
生産者でもある大北牧場がオーナーとなり、シャダイフライトの鹿毛の牝馬は、牧場名から「ノースフライト」と名付けられ、栗東の加藤敬二厩舎に入厩した。ノースフライトは体質が弱く、なかなか仕上がらず、四歳の1993年5月1日、新潟の未出走戦が初出走だった。同じトニービン初年度産駒で、社台ファームの評判馬
ベガは、この時既に桜花賞を勝ちオークスで二冠を目指していた。ノースフライトは1番人気に支持され、西園正都騎手を鞍上に2着に直線だけで9馬身差をつけて圧勝。続く、7月小倉の条件特別も武豊を鞍上に8馬身差の圧勝。陣営はエリザベス女王杯を目指し、9月阪神の条件特別に出走。しかし圧倒的1番人気に支持されながら、熱発の影響もあってか5着に敗退。獲得賞金面からエリザベス女王杯出走は難しくなった。
加藤師は思い切って、東京の府中牝馬ステークス(G3)に挑戦することにした。重賞なら2着でも賞金は加算されるし、四歳条件馬のノースフライトならハンデも軽いだろう。しかし何といっても経験の深い古馬相手だし、そもそもこの府中牝馬ステークスに出走する賞金すら不足していた。加藤師は出走回避馬がでることを祈り、鞍上も決めぬまま東京に移送した。幸い回避馬がでて出走可能になり、ノースフライトのハンデは50キロと発表された。加藤師はたまたま上京していた角田晃一騎手に騎乗を依頼した。角田騎手の普段の体重は51キロ。出走できるかどうかもわからないノースフライトに乗るために、相当な苦労があったと彼は後日語っている。その苦労に報いるわけでもなかろうが、その後ノースフライトの鞍上は武豊に奪われそうになっても、巡り合わせで角田騎手の手に戻り、大レースを制することになる。レースは4番人気に支持され直線を見事に抜け出し、重賞初制覇を飾った。
軽ハンデながら古馬を打ち破ったノースフライトは堂々とエリザベス女王杯(G1)に出走。このエリザベス女王杯には牝馬三冠を目指す
ベガ、トライアルのローズステークスを圧勝したスターバレリーナが人気を集めていて、ノースフライトは距離実績もないことから5番人気でしかなかった。ノースフライトは最後の直線で一旦先頭に立ったものの、内から
ホクトベガに差され2着に終わった。
ホクトベガは後年ダート路線に転向し「砂の女王」の異名を取る。ノースフライトも後にマイルの女王となるのだが、このエリザベス女王杯ではこの名馬2頭で万馬券だった。その後12月の古馬混合重賞である阪神牝馬特別に出走し、武豊を鞍上に同じ四歳のベストダンシングを破って重賞2勝目。このときすでに世代牝馬でも指折りの強さとなっていた。
1994年五歳となったノースフライトは1月末の京都牝馬特別(G3)に出走。この年は京都競馬場の馬場改修工事のため阪神に代替開催されていた。57キロを背負いながらも6馬身差の圧勝、1番人気に応えた。続いては3月のマイラーズカップ(G2)。前述の改修工事の影響で中京での代替開催となり距離も1700mであった。ノースフライトにとってはじめての牡馬相手の重賞挑戦である。出走馬もこの年の秋に天皇賞を制覇する
ネーハイシーザー、ジャパンカップを制する
マーベラスクラウンなど、後から考えると豪華メンバーが揃っていた。しかしノースフライトは直線で
ネーハイシーザーを競り落とすと、
マーベラスクラウンの追い込みを楽々と抑えてレコード勝ち。重賞3連勝で1番人気に応えた。
第44回安田記念は晴良馬場の東京競馬場で開催された。安田記念は前年より外国馬に開放されており、この年は前哨戦の京王杯スプリングカップで上位独占した、スキーパラダイス・ザイーテン・サイエダティ・ドルフィンストリート4頭が揃って出走してきた。中でもスキーパラダイスは社台ファームが購入したほどの実績馬で、「この馬にはかなわない」という雰囲気が形成されていた。ノースフライトは近走の成績を見れば、もっと評価されてもよさそうなものだが、外国馬のあの前走を見せられては5番人気でしかなかった。ここまでノースフライトに乗ってきた武豊騎手はスキーパラダイスを選び、ノースフライトには前年のエリザベス女王杯以来となる角田騎手が騎乗することになった。ノースフライトは低い下馬評を覆し、出遅れながらも豪快に外から外国馬や
サクラバクシンオーといった強豪を差しきった。2着には最後の末脚に賭けた牝馬トーワダーリンが入線し、外国馬優勢が予想された結果は、日本牝馬の1、2着となった。ノースフライトの厩務員は京都大学農学部を卒業後、この世界に飛び込んできた石倉幹子さんで、女性厩務員としては初めてのG1制覇となった。
安田記念のあと放牧に出され、五歳秋はスワンステークス(G2)から始動した。ここには生粋のスプリンター、
サクラバクシンオーが出走していた。1200mで強い
サクラバクシンオーと1600mで強いノースフライトが1400mで戦うとどうなるかとファンは注目したものだが、ここは人気通り、ダッシュ力に勝る
サクラバクシンオーが制した。
第11回マイルチャンピオンシップは晴・良馬場の京都競馬場で行われた。1番人気はこのレースで引退し繁殖に上がることが決まっているノースフライト。前走はあくまで
サクラバクシンオーが距離適正の差で敗れただけとファンは冷静に読んでいたのである。ノースフライトの「最終飛行」は完璧だった。スタートから好位置につけると、直線で粘る
サクラバクシンオーを突き放してゴール。
ニホンピロウイナー以来のマイルG1春秋連覇を達成、見事に引退の花道を飾った。余力を残して引退したノースフライトは生まれ故郷の大北牧場に帰っていった。
翌年、ノースフライトは最優秀古馬牝馬に選ばれた。期待された繁殖成績だが、初年度ノーザンテーストをつけたミスキャストがクラシック路線に登場した。その後もサンデーサイレンス、
エルコンドルパサー、ブライアンズタイム、
キングカメハメハと超一流の種牡馬が付けられており、大物はいないといっても、10頭の産駒のうち8頭は地方を含むとはいえ勝ち上がった。そして種牡馬となったミスキャストは2012年天皇賞・春を制した
ビートブラックを輩出した。2011年繁殖馬を引退し、2018年1月22日、心不全のため永眠した。
ノースフライトが活躍した1994年は
ナリタブライアンが四冠を達成した年である。注目度の低いマイル路線ということもあってノースフライトの知名度は一般に低いままだ。しかし競馬ファンにはその「完璧なマイル飛行」が石倉厩務員が呼んだ「フーちゃん」という愛称とともに記憶される存在であろう。
2007年11月27日筆
2014年5月3日加筆
2022年4月5日加筆