サクラバクシンオー成績
サクラバクシンオーの画像
画像提供 RACINGFIELDS.com
1989/4/14生 2011/4/30没
牡  鹿毛
父:サクラユタカオー 母:サクラハゴロモ (by ノーザンテースト)
生産者:早来・社台ファーム(JPN)
馬主:(株)さくらコマース
調教師:境勝太郎(美浦)

・中央所属時成績
四歳時11戦 5勝
五歳時 4戦 3勝 スプリンターズステークス
六歳時 6戦 3勝 スプリンターズステークス
中央通算 21戦11勝
全通算 21戦11勝
[解 説]当Web siteでは漢数字の馬齢は旧年齢表記、算用数字の馬齢は満年齢表記
 サクラバクシンオーは1989年社台ファームにて生まれた。父サクラユタカオーは一時代を築いた大種牡馬テスコボーイの晩年の傑作で、四歳では故障で満足に走れなかったが、五歳になって本格化し、毎日王冠、天皇賞・秋を日本レコードで連勝しその名を高めた。種牡馬としても成功し、このサクラバクシンオー以外にも1999年の安田記念・マイルCSを連覇したエアジハード、1995年のエリザベス女王杯を勝ったサクラキャンドル、1999年オークス馬ウメノファイバーのG1馬を輩出している。母サクラハゴロモは父ノーザンテースト、母クリアアンバーという血統で1981年有馬記念、1983年天皇賞・春に勝ったアンバーシャダイの全妹であった。またクリアアンバーの全妹ダイナクラシックは1990年阪神三歳Sを勝ったイブキマイカグラを生んでいる。当初、生産者である社台ファーム総帥吉田善哉氏はこのアンバーシャダイの全妹を牧場の基礎牝馬とするつもりだったので売らないつもりでいた。しかし境勝太郎調教師の熱意に折れて、3年間3000万円という条件で貸与することになった。現役時は16戦2勝で、無理して走らせて故障しては申し訳がないということで、約束より1年早く社台ファームに返した。その見返りとして無償で初仔を譲り受けることになった。それがサクラバクシンオーであった。
 サクラの冠号で知られる(株)さくらコマースの持ち馬として、美浦・境勝太郎厩舎に入厩したサクラバクシンオーは、サクラの主戦騎手で、境師の娘婿の小島太騎手を鞍上に、四歳1992年1月の中山のダート1200mで初出走。見事に新馬戦を逃げ切った。小島太騎手はサクラバクシンオーの全レースに騎乗することになる。続く黒竹賞1600mは2着だったものの、桜草特別1200mで勝利した。サクラバクシンオーは父サクラユタカオーに似て、普段は素直でのんびりしていたが、レースに出走すると闘志を漲らせた。ただ絶対的なスピードは優れていたが、脚元が弱く強い調教ができなかった上、ただ逃げるだけの戦法ではクラシックで通用するかどうか不安であった。まずは皐月賞を目指してスプリングSに出走。しかし重馬場で持ち前のスピードを生かせず、というよりも彼を凌駕するスピード馬ミホノブルボンにちぎられて14頭立ての12着と大敗した。境師はこの馬の本領は1600m以下の短距離にあるとみて、クラシックを諦め短距離路線を重点的に走らせることになった。1200mのクリスタルカップ(G3)で初重賞勝ち。1400mの菖蒲S1着を叩いて、春の目標としたニュージランドT(G2)に出走も7着に敗退。秋はマイルチャンピオンシップを目指して、京王杯AH(G3)に出走するも3着、東京の1600m多摩川Sは7着という不本意な成績であった。境師はこの馬はマイルよりも短い距離でないと本領を発揮できないと考え、その後はスプリント路線を中心に使われることになった。そこで東京1400mのキャプタルステークスに出走、1番人気に応えた。しかし肝心のスプリンターズステークス(G1)は3番人気に推されながら、同期の桜花賞馬ニシノフラワーの末脚に屈する6着であった。結局サクラバクシンオーが1400m以下で負けたのはこの四歳で挑戦したスプリンターズステークスだけであった。
 五歳となった1993年は脚部不安が生じて放牧したため春は全休、10月中山1200mのオータムスプリントステークスに出走。これに勝って幸先のよいスタート。続く東京1600mのアイルランドTは4着だったがこれは折り込み済み。去年と同様キャピタルステークスを勝ってスプリンターズステークスに挑んだ。
 第27回スプリンターズステークス(G1)において1番人気に推されたのはヤマニンゼファーであった。ヤマニンゼファーはこの年の安田記念を前年に続いて連覇し、さらに2000mの天皇賞・秋も制した。その上にスプリンターズステークスを制すれば、史上初の短中距離完全制覇となり、年度代表馬は確定的なものとなるはずであった。サクラバクシンオーは2番人気であった。馬体重は過去最高の500kgで充実ぶりを示していた。1200mならサクラバクシンオーに分があるように思えたが、ファンは安田記念、天皇賞を制した格を評価したのである。サクラバクシンオーにとっても負けられない1戦であった。レース前に(株)さくらコマースの社長、全演植オーナーが亡くなったのでのである。境師、小島太騎手にとっては大恩人であり、亡きオーナーへの勝利の報告は半ば義務づけられたものだったからだ。レースはサクラバクシンオーが3番手で先行し、ヤマニンゼファーが6番手につけた。直線でサクラバクシンオーが堂々と抜け出しても、ヤマニンゼファーに差を詰められることなく2馬身半差をつけて優勝。関係者にとっては「追悼レース」になったため表彰式は喜びが表に出ることなかった。
 六歳となった1994年はダービー卿チャレンジトロフィー(G3)より始動し、1番人気に応えた。当時は春季にスプリントG1はなかったので、春の目標は1600mの安田記念(G1)とせざるをえなかった。日本馬最高の3番人気に推されたものの、マイルを得意とする牝馬ノースフライトの4着に敗れた。秋は毎日王冠(G2)に出走し4着と敗れたものの日本レコードで勝ったネーハイシーザーと0.4秒差の1分45秒0の好タイムであった。西下したサクラバクシンオーはスワンステークス(G2)で安田記念で完敗したノースフライトと再び対戦した。1200mの王者と1600mの女王が1400mで激突することになり、勝敗に興味が持たれたが、1番人気に推されたサクラバクシンオーがノースフライトを抑えて勝利した。しかし次走マイルチャンピオンシップ(G1)はノースフライトにきっちり雪辱された。しかしマイル戦で2着を確保したところに成長を感じさせた。
 第28回スプリンターズステークス(G1)は、サクラバクシンオーの独壇場という前評判で圧倒的1番人気に推された。日本馬にさしたるライバルはおらず、未知の外国馬ソビエトプロブレムが2番人気になった。好位から楽々と抜け出したサクラバクシンオーは2着ビコーペガサスとの着差が4馬身に達する日本レコードで優勝し自らの引退に華を添えた。
 引退後、社台スタリオンステーションにて種牡馬となったサクラバクシンオーは1998年より産駒がデビュー。初年度から産駒の評判もよく、シンジケートの会員には払い戻しがでるほどであった。そして2002年2月きさらぎ賞でメジロマイヤーが産駒初の重賞勝ちを果たし、間をおかずショウナンカンプが高松宮記念を制して早くも大物を輩出した。その後もCBC賞と函館スプリントSを勝ったシーイズトウショウなど活躍馬を出している。中山大障害・中山グラントジャンプを制したブランディスは別にして、総じて父と同じく短距離でしか持ち味を発揮できない産駒が多い。内国産種牡馬であるサクラユタカオーの血を伝える後継種牡馬がショウナンカンプだけでは心許ないと思われていたところへ、2010年朝日杯FSでグランプリボスが勝った。しかし22歳となったサクラバクシンオーは2011年4月30日に心不全にて永眠。その直後グランプリボスはNHKマイルカップを1番人気で制し亡き父を弔った。ショウナンカンプグランプリボスも種牡馬成績が今ひとつなので、サクラバクシンオーの血が後世に残るかどうかは微妙だ。しかしサクラバクシンオーが日本競馬史上初の本格的スプリンターとして歴史に残るのは間違いない。サクラバクシンオーが開拓した道があってこそ、のちに世界に通用するスプリンター、ロードカナロアが出現したといっても過言ではないだろう。
2004年11月25日筆
2011年5月14日加筆
2022年4月6日加筆
競走成績
日付 競馬場 競走名 距離 馬場 頭数 人気 着順 時計 騎手 斤量 馬体重 1着馬(2着馬)
1992/1/12 中山 新馬 ダ1200 16 2 1 1:11.8 小島太 55 482 (マイネルトゥルース)
1992/1/26 中山 黒竹賞 1600 11 1 2 1:35.1 小島太 55 486 マイネルコート
1992/3/14 中山 桜草特別 1200 12 1 1 1:08.8 小島太 55 486 (ハヤノライデン)
1992/3/29 中山 スプリングステークス(G2) 1800 14 3 12 1:53.6 小島太 56 486 ミホノブルボン
1992/4/18 中山 クリスタルカップ(G3) 1200 11 1 1 1:08.6 小島太 55 482 (タイトゥルー)
1992/5/9 東京 菖蒲ステークス 1400 10 1 1 1:22.8 小島太 57 482 (エーピージェット)
1992/6/7 東京 ニュージーランドトロフィー四歳ステークス(G2) 1600 10 3 7 1:36.0 小島太 56 486 シンコウラブリイ
1992/9/13 中山 京王杯オータムハンデ(G3) 1600 13 3 3 1:33.0 小島太 54 490 トシグリーン
1992/10/31 東京 多摩川ステークス 1600 12 3 7 1:33.5 小島太 55 484 キョウエイボナンザ
1992/11/28 東京 キャピタルステークス 1400 16 1 1 1:21.1 小島太 55 484 (ミスタートウジン)
1992/12/20 中山 スプリンターズステークス(G1) 1200 16 3 6 1:08.3 小島太 55 486 ニシノフラワー
1993/10/2 中山 オータムスプリントステークス 1200 12 2 1 1:08.8 小島太 57 492 (フィルードヴォン)
1993/10/30 東京 アイルランドトロフィー 1600 12 3 4 1:35.5 小島太 58 492 イイデザオウ
1993/11/27 東京 キャピタルステークス 1400 16 3 1 1:21.2 小島太 58 496 (エアリアル)
1993/12/19 中山 スプリンターズステークス(G1) 1200 14 2 1 1:07.9 小島太 57 500 (ヤマニンゼファー)
1994/4/3 中山 ダービー卿チャレンジトロフィー(G3) 1200 13 1 1 1:08.9 小島太 58 500 (ドージマムテキ)
1994/5/15 東京 安田記念(G1) 1600 16 3 4 1:33.7 小島太 57 498 ノースフライト
1994/10/9 東京 毎日王冠(G2) 1800 11 4 4 1:45.0 小島太 59 496 ネーハイシーザー
1994/10/29 阪神 スワンステークス(G2) 1400 18 1 1 R1:19.9 小島太 59 494 (ノースフライト)
1994/11/20 京都 マイルチャンピオンシップ(G1) 1600 14 2 2 1:33.2 小島太 57 496 ノースフライト
1994/12/18 中山 スプリンターズステークス(G1) 1200 14 1 1 R1:07.1 小島太 57 504 (ビコーペガサス)
距離別実績
距離区分 1着 2着 3着 連対率 主な勝鞍
1400m未満 76000.857 1993スプリンターズステークス 1994スプリンターズステークス
ダート1400m未満 11001.000
1400〜1900m未満 134210.462
1900〜2200m未満 0.000
2200〜2800m未満 0.000
2800m以上 0.000
芝コース通算2010210.600 
ダートコース通算11001.000 
競馬場別実績
競馬場 1着 2着 3着 連対率 主な勝鞍
京都10101.000
中山117110.727 1993スプリンターズステークス 1994スプリンターズステークス
阪神11001.000
東京83000.375
通算2111210.619 

5代血統表
サクラユタカオー
1982 栗
テスコボーイ Princely Gift Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Blue Gem Blue Peter
Sparkle
Suncourt Hyperion Gainsborough
Selene
Inquisition Dastur
Jury
アンジェリカ ネヴァービート Never Say Die Nasrullah
Singing Grass
Bride Elect Big Game
Netherton Maid
スターハイネス ユアハイネス Chamossaire
Lady Grand
スターロッチ ハロウェー
コロナ
サクラハゴロモ
1984 鹿
ノーザンテースト Northern Dancer Nearctic Nearco
Lady Angela
Natalma Native Dancer
Almahmoud
Lady Victoria Victoria Park Chop Chop
Victoriana
Lady Angela Hyperion
Sister Sarah
クリアアンバー Ambiopoise Ambiorix Tourbillon
Lavendula
Bull Poise Bull Lea
Alpoise
One Clear Call Gallant Man Migoli
Majideh
Europa Bull Lea
Sicily
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