サクラローレル成績
サクラローレルの画像
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1991/5/8生 2020/1/24没
牡  栃栗毛
父:Rainbow Quest 母:ローラローラ (by Saint Cyrien)
生産者:静内・谷岡牧場(JPN)
馬主:(株)さくらコマース
調教師:境勝太郎(美浦)、小島太(美浦)

・中央所属時成績
四歳時13戦 4勝
五歳時 2戦 1勝
六歳時 5戦 4勝 天皇賞・春 有馬記念
七歳時 2戦 0勝
中央通算 22戦 9勝
全通算 22戦 9勝
[解 説]当Web siteでは漢数字の馬齢は旧年齢表記、算用数字の馬齢は満年齢表記
 サクラローレルは1991年静内・谷岡牧場で生まれた。父レインボウクエストRainbow Questは1981年アメリカ産馬。現役時代は欧州で14戦6勝。現役最終戦となった凱旋門賞は前年の覇者サガスの首差2着と敗れたが、進路妨害が認められて繰り上がり優勝となった。代表産駒としては英国ダービー馬クエストフォーフェイム、凱旋門賞馬ソーマレズなどがいる。ちなみにクエストフォーフェイムはジャパンカップに出走しトウカイテイオーの11着に敗れている。母ローラーローラLola Lolaはフランス産馬で現役時は6戦1勝。平凡な成績ではあるがフランスオークスへの出走歴がある。その父Saint Cyrienとは聞き慣れない種牡馬だが、当地ではこのローラローラは良血馬と評価され早期に引退して繁殖入りした。ローラローラはフランスで初仔を出産したあと、レインボークエストの種を宿して、日本に輸入された。つまりサクラローレルは持込馬である。幼駒より栃栗毛の皮膚がビロードのように薄く、腹構え毛づやとも文句のつけようのない完璧な馬体で、美浦・境勝太郎調教師は生まれ落ちたサクラローレルを見て一目惚れし、自分の厩舎に入厩することを決めた。ローラローラは(株)さくらコマースのオーナー全演植氏の所有馬であり、当然のことながら生まれ落ちたその仔馬は「サクラ」の冠号で知られる彼の所有馬となった。
 境厩舎に入厩したサクラローレルは、ひ弱な体質のため仕上がりが遅れ、1994年四歳1月の中山新馬戦にサクラの主戦小島太騎手を鞍上にようやくデビューした。しかし9着惨敗、そして折り返しの新馬戦も3着と人気を裏切り、15日後の東京の未勝利戦でようやく勝ち上がった。クラシックに出走するには残された時間は少ない。春菜賞を6着、中山500万条件を2着、次走同一条件を勝ち上がったのは3月26日であった。時間的にも賞金的にも皐月賞には間に合わなかった。サクラローレルはダービーを目指し青葉賞に出走した。ここを何とか3着してダービー出走権が得られたが、右後脚に球節炎を発症して休養に入った。
 9月新潟の佐渡ステークス3着で復帰し、菊花賞出走を目指してセントライト記念に出走。しかし2番人気の8着に敗れ、菊花賞の出走は諦めざるを得なかった。ちなみにこの年のクラシックはナリタブライアンが無類の強さを発揮して三冠を達成した。その後サクラローレルはオープン特別のみに出走した。六社特別、秋興特別、比良山特別、冬至ステークスをすべて1番人気で2着、2着、1着、1着。明かな上昇傾向で四歳を終えた。
 1995年五歳は年初の中山の金杯から始動、これを重馬場で2分0秒5という破格の時計で初重賞をものにした。境師はこの勝利でサクラローレルは相当な器だと再確認した。続く目黒記念も2着し、天皇賞に向けて視界良好と思われたが、故障発生。それも両前脚管骨骨折という重傷で1年近くを休養しなければならなかった。長い休養の間、主戦の小島太騎手は引退。担当厩務員も定年となって、小島太騎手の次男で境師の孫である小島良太氏が持ち乗り厩務員となった。
 1996年六歳の中山記念から復活。15頭立ての9番人気と低評価であったが、横山典弘騎手を鞍上に、最後方から直線鋭く伸びて皐月賞馬ジュニュイン以下に快勝した。休養している間に馬が本格化していたのである。
 第113回天皇賞・春は阪神大賞典で復活した同期の三冠馬、ナリタブライアンと同レースで惜敗したマヤノトップガンの2頭の年度代表馬が人気を集め、サクラローレルは彼らから離れた3番手の評価であった。サクラローレルは前走より12キロ減に絞り込まれて挑んだ。この3頭のうちもっとも後方に位置し、直線で末脚を発揮。早めに抜け出して逃げ込みを計るナリタブライアンを並ぶ間もなく交わして2馬身半差をつけて優勝した。反動を恐れた陣営は宝塚記念を回避して秋に備えた。
 六歳秋はオールカマーから始動した。実績のある中山でしかも得意の重馬場なのに、天皇賞以来という点が嫌われてマヤノトップガンに1番人気を譲った。しかし結果は実績通りの完勝で、万全の体制で天皇賞連覇に向かうことになった。ところが出遅れで後方からの競馬となった上に、直線で包まれる不利もあり、脚を余してバブルガムフェローの3着に敗れてしまった。境師は騎乗した横山典弘騎手を人目をはばかることなく、厳しく叱責した。
 境師はジャパンカップを回避し有馬記念一本に絞った。定年間近い境師は有馬記念制覇の最後のチャンスと考えていたのである。有馬記念の鞍上は横山騎手に委ねられた。天皇賞の騎乗ミスによる叱責ぶりから彼は降ろされると思ったファンも多かったが、境師は「あれは彼の成長を期待しての叱責」と説明した。第41回有馬記念はナリタブライアン引退後の古馬最強馬の座を賭けて14頭が出走した。四歳の天皇賞馬バブルガムフェローの出走はなかったが、ライバルと目されたマーベラスサンデーマヤノトップガンもジャパンカップを回避してこの有馬記念に挑んできた。サクラローレルは1番人気に支持された。中団待機から直線を抜け出す全くの横綱競馬でマーベラスサンデー以下を降ろして優勝、誰もがサクラローレルが古馬最強であると認識せざるを得ず、1996年の年度代表馬に選ばれた。境師は有馬記念の2ヶ月後に調教師を引退。見事に有終の美を飾った。
 1997年七歳となったサクラローレルは境師の娘婿である小島太師に管理を委ねられた。師は「天皇賞・春の結果次第で海外を目指す」と発表、日本の最強馬としてフランスの凱旋門賞に挑戦させることになった。しかしその調整中に軽い骨折があり、ぶっつけで天皇賞・春に挑むことになった。その天皇賞・春は前年の有馬記念と同様、マーベラスサンデーマヤノトップガンとともに三強の一角に支持され、久々にも関わらず1番人気に支持された。ただし今回はライバルも直前のレースを勝って好調を維持しており、有馬記念のように簡単に勝てる雰囲気ではなかった。レースは三強の持ち味を発揮した素晴らしい内容だった。直線で早めに抜け出したサクラローレルは、マーベラスサンデーに並びかけられもこれを競り落とし春連覇達成かと誰もが思ったところへ、マヤノトップガンが大外からすさまじいばかりの豪脚を繰り出して、サクラローレルを2着に沈めた。しかしこれは勝ったマヤノトップガンを賞賛するべきであって、むしろ久々でありながら好内容のレースができたサクラローレルを傷つけるものではなかった。
 同年夏予定通り凱旋門賞を目指しフランスに遠征。しかしスタッフは海外遠征に関する知識が不足していた。サクラローレルの場合問題になったのは蹄鉄であった。サクラローレルは生来脚元が弱く、日本では装着する蹄鉄に気を遣っていた。しかしフランスでは現地の装蹄師に任せたために、そうした事情も考慮されず、フランスの深い芝に対応できる蹄鉄を装着されてしまった。そして凱旋門賞の前哨戦として武豊騎手を鞍上に出走したフォア賞は、1番人気に支持されながら8頭立ての8着という惨敗を喫した。現地の獣医は右前屈腱不全断裂と診断、厩務員の機転で安楽死は免れた。凱旋門賞に出走することなく失意の帰国となった。
 帰国後引退したサクラローレルは12億円のシンジケートが組まれ、静内スタリオンステーションで種牡馬となった。日本ではあまりなじみのない血統だけにノーザンダンサー系牝馬への和合性を期待されたが、初年度に配合された繁殖牝馬が高レベルであったのにもかかわらず、やや期待を裏切る結果となった。初年度産駒からローマンエンパイヤが京成杯、2年目産駒からサクラセンチュリーが鳴尾記念、日経新春杯、アルゼンチン共和国杯を勝った。結局、重賞勝ち馬はこの2頭だけで、2012年に種牡馬を引退。2020年1月24日、余生を送っていた新和牧場にて老衰で永眠した。
 五歳金杯でようやく本格化し、脚部不安に苦しめられながらも、常に目一杯の競馬をして、天皇賞・春と有馬記念という古馬最高の栄誉を得たサクラローレルは大器晩成の典型例として、名伯楽境勝太郎師の最後の傑作として、「遅咲きのサクラ」という称号とともに長くファンの心に刻まれる存在であろう。
2004年8月1日筆
2022年4月6日加筆
競走成績
日付 競馬場 競走名 距離 馬場 頭数 人気 着順 時計 騎手 斤量 馬体重 1着馬(2着馬)
1994/1/6 中山 新馬 1600 15 1 9 1:37.9 小島太 55 488 シャインフォード
1994/1/15 中山 新馬 1600 13 2 3 1:37.8 小島太 55 480 マルブツリジャンテ
1994/1/30 東京 未勝利 ダ1400 14 1 1 1:26.6 小島太 55 480 (シクレノンヴォルグ)
1994/2/19 東京 春菜賞 1600 12 4 6 1:35.9 小島太 55 480 インディードスルー
1994/3/6 中山 500万下 ダ1800 7 2 2 1:54.1 O.ペリエ 55 480 タイキブリザード
1994/3/26 中山 500万下 ダ1800 10 1 1 1:53.9 小島太 55 480 (キャンドルタイム)
1994/4/30 東京 青葉賞(G3) 2400 17 3 3 2:28.9 小島太 56 480 エアダブリン
1994/9/4 新潟 佐渡ステークス 2000 9 2 3 2:01.3 小島太 56 490 ダイゴウソウル
1994/9/25 中山 セントライト記念(G2) 2200 11 2 8 2:17.0 的場均 56 484 ウインドフィールズ
1994/10/15 東京 六社特別 1800 9 1 2 1:47.5 小島太 56 490 バースルート
1994/10/30 東京 秋興特別 2000 10 1 2 2:01.5 小島太 55 488 ブランドミッシェル
1994/11/20 京都 比良山特別 2200 7 1 1 2:14.1 小島太 55 488 (メジロスズマル)
1994/12/18 中山 冬至ステークス 2500 14 1 1 2:33.5 小島太 56 486 (ハヤテマジシャン)
1995/1/5 中山 金杯・東(G3) 2000 16 2 1 2:00.5 小島太 55 490 (ゴールデンアイ)
1995/2/19 東京 目黒記念(G2) 2500 12 1 2 2:31.2 小島太 56.5 490 ハギノリアルキング
1996/3/10 中山 中山記念(G2) 1800 15 9 1 1:47.2 横山典弘 57 496 (ジェニュイン)
1996/4/21 京都 天皇賞・春(G1) 3200 16 3 1 3:17.8 横山典弘 58 484 (ナリタブライアン)
1996/9/15 中山 オールカマー(G2) 2200 9 2 1 2:16.7 横山典弘 59 492 (マヤノトップガン)
1996/10/27 東京 天皇賞・秋(G1) 2000 17 1 3 1:58.9 横山典弘 58 496 バブルガムフェロー
1996/12/22 中山 有馬記念(G1) 2500 14 1 1 2:33.8 横山典弘 56 502 (マーベラスサンデー)
1997/4/27 京都 天皇賞・春(G1) 3200 16 1 2 3:14.6 横山典弘 58 488 マヤノトップガン
1997/9/14 Longchamp
(FRA)
フォワ賞(仏G3) 2400 8 1 8 2:32.5 武豊 58 --- ヨコハマYokohama
距離別実績
距離区分 1着 2着 3着 連対率 主な勝鞍
1400m未満 0.000
1400〜1900m未満 51110.400
ダート1400〜1900m未満 32101.000
1900〜2200m未満 41120.500
2200〜2800m未満 84110.625 1996有馬記念
2800m以上 21101.000 1996天皇賞・春
芝コース通算197440.579 
ダートコース通算32101.000 
競馬場別実績
競馬場 1着 2着 3着 連対率 主な勝鞍
Longchamp(FRA)10000.000
京都32101.000 1996天皇賞・春
中山106110.700 1996有馬記念
東京71320.571
新潟10010.000
通算229540.636 

5代血統表
Rainbow Quest
1981 鹿
Blushing Groom Red God Nasrullah Nearco
Mumtaz Begum
Spring Run Menow
Boola Brook
Runaway Bride Wild Risk Rialto
Wild Violet
Aimee Tudor Minstrel
Emali
I Will Follow Herbager Vandale Plassy
Vanille
Flagette Escamillo
Fidgette
Where You Lead Raise a Native Native Dancer
Raise You
Noblesse Mossborough
Duke's Delight
ローラローラ
Lola Lola
1985 栗
Saint Cyrien Luthier Klairon Clarion
Kalmia
Flute Enchantee Cranach
Montagnana
Sevres Riverman Never Bend
River Lady
Saratoga スノッブ
Sariegail
Bold Lady ボールドラッド Bold Ruler Nasrullah
Miss Disco
Misty Morn Princequillo
Grey Flight
Tredam High Treason Court Martial
Eastern Grandeur
Damasi Djebel
Monrovia
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