[解 説]
当Web siteでは漢数字の馬齢は旧年齢表記、算用数字の馬齢は満年齢表記
トロットサンダーは1989年鵜川のフラット牧場にて生まれた。父
ダイナコスモスは1986年の皐月賞馬。四歳のラジオたんぱ杯で引退し、10戦5勝。母シャダイワーデンは社台ファームの基礎牝馬ナイトライトの血を受け継いだ馬で、その父は社台ファームを確固たる地位に導いたノーザンテースト。
ダイナコスモスの父ハンターコムは欧州チャンピオンスプリンターで社台ファームが抱えるノーザンテースト産駒の肌馬につけるために導入された。
ダイナコスモスは他の産駒としては、小倉大賞典、
カブトヤマ記念に勝ったワンモアラブウェイ、地方大井で活躍したホウエイコスモスなどがいるが、全体的に低調である。母ラセーヌワンダーは1969年生まれ。これは
ロングエース、
タイテエムらと同じ世代である。現役時代は公営船橋で2戦未勝利。18頭の産駒のほとんどは地方競馬で活躍して、堅実な成績を残していた。トロットサンダーは彼女の16番目の仔である。配合された
ダイナコスモスは1983年生まれだから16歳も年上女房である。生産者の佐藤氏によるとこの年20歳と繁殖牝馬のピークを過ぎてはいるものの、牧場のカマド馬であったラセーヌワンダーに、思い切ってスピード血統の若い種牡馬をつけたのだという。種付け料が30万円と安いのも魅力だった。フラット牧場は価格が安い代わりにさほどの活躍は望めない馬を生産することで経営を成り立たせていたのである。母の父テスコボーイはノーザンテースト出現前に日本を席巻した種牡馬で
トウショウボーイをはじめ多くの大レースの勝ち馬を輩出した。母方5代父に戦前の大種牡馬シアンモアが名を連ねていることからわかるように、日本伝統牝系を受け継いではいる。しかし、もはやスピードも活力も失われた古ぼけた血統といわれても仕方がなかった。
トロットサンダーは地味な血統からさほど期待されていたわけでなく、他のラセーヌワンダの子供たちと同様、1992年当然のように地方浦和・津金沢厩舎で静かにデビューした。育成牧場でけがをして四歳7月のデビューと遅れたが、持ち前のスピードで逃げまくり、5戦全勝と素晴らしさであった。
五歳1月の初戦は本間騎手に乗り替わって2着に敗れたものの、その後2戦を完勝。しかし球節の骨折が発症して2月から休養に入った。本来なら競走生活を続行できないほどの重傷だったが、関係者はデビュー以来の圧倒的強さに大きな可能性を感じ取り、戦列復帰を待った。
復帰は1年と3ヶ月後の六歳5月。大外枠の不利を克服しこれを完勝。これはただ者ではない。結局地方では9戦8勝という圧倒的強さで、かねてから進んでいた中央への移籍が7月に実現した。中央初戦は札幌の日高特別。地方で良績を残していたといっても、浦和の下級条件戦。しかも芝は初体験である。しかし4番人気で2着でまずは合格。再調整して12月の中山で勝ち名乗りをあげた。
11戦しかしていないとはいえ、七歳となったトロットサンダーがG1タイトルを狙うには残された時間は多くはない。1月中山初富士Sを好タイムで勝つ幸先のいいスタート。まだ条件戦に出走できる身であったが、重賞中山記念に挑戦。オープン馬の壁は厚く7着と敗れた。東京の府中Sは自己条件の1600m戦とあって勝った。陣営は札幌記念、函館記念と再度重賞挑戦した。しかしともに7着に敗れた。2000mはこの馬にとって長い。陣営は天皇賞をあきらめマイルチャンピオンシップを狙うことにした。毎日王冠は天皇賞を目指す強力メンバーの中6番人気であったが3着に頑張った。続くアイルランドTは東京のマイル戦を1分33秒3の好タイムで圧勝、マイルCSを目指して西下した。
この1995年の第12回マイルCSは確かな主役が不在であった。G1馬としては
レガシーワールド、
マーベラスクラウンの2頭が出走していたが、マイルに実績がなく調子を落としていた。なによりもこの2頭はせん馬であり走れる限りは勝算がなくとも走らねばならなかった。四歳時京成杯を勝ち、マイルにそこそこ実績のある、ビコーペガサスが武豊鞍上ということもあって1番人気に支持された。トロットサンダーは4番人気であった。エイシンワシントンが逃げる展開となりトロットサンダーと横山典弘は最後方に位置した。4コーナーを回って
ヒシアケボノが先頭に立つが、まだトロットは後方で手応えも怪しい。しかし直線残り200mで鋭い末脚を繰り出して混戦を制した。2着に人気薄のメイショウテゾロが入り、馬連は10万4390円と大荒れになった。これまで1番人気が必ず連対し、もっとも堅く収まるG1競走として知られていたマイルCSだが、その傾向に終止符を打った。しかしその印象があまりに強烈だったので、その後この第12回マイルCSは勝ったトロットサンダーの名前よりも万馬券となった事実が多く語られることになった。
八歳になってもトロットサンダーの末脚は衰えるところを知らなかった。東京新聞杯から始動。このレースは相川師が管理馬の名義貸しに関与していたということで4ヶ月の調教停止処分を受け、一時的に内藤厩舎に移っての参戦だった。得意のマイル戦ということで軽く1番人気に応えた。続く京王杯SCは3着に敗れた。もっとも距離が1400mと短いことと斤量が59キロということで2番人気であった。
第46回安田記念は前年のマイルCSとは比較にならないほどの強力メンバーが集まっていた。まずドバイから送り込まれた前年の覇者にして前走京王杯SCを勝った外国馬
ハートレイク。さらにデビュー以来どんな距離でも堅実な成績を残してきた
タイキブリザード。しかも
ヒシアケボノ、
フラワーパークのスプリントG1馬、皐月賞馬
ジェニュイン、オークス馬
ダンスパートナー、ジャパンカップ2着の女傑
ヒシアマゾンらのG1馬も出走していた。それら豪華メンバーの中にあってトロットサンダーは1番人気に支持された。近走の成績も良く、1600m戦なら不敗という実績が評価されたのである。レースはいつものように後方から進み、直線逃げる
ヒシアケボノをタイキブリザートとともに追撃。そしてゴール前タイキブリザートとの馬体を合わせての叩き合い。ゴールはほぼ同時に飛び込んだ。長い写真判定の結果は外のトロットサンダーがハナ差制していた。まるでマイル戦のゴールを知っているかのような「見事な辛勝」であった。
マイルG1を連覇し名実とともに現役最強マイラーとなったトロットサンダーは、天皇賞・秋を目指すことになった。しかし同年9月26日、トロットサンダーの中央移籍時、中央競馬の馬主資格のない人物にオーナーが名義貸していたことが判明、藤本オーナーは馬主登録を抹消。同時にトロットサンダーも強制的に引退を余儀なくされた。G1馬が競走能力に関係なくこのような形で引退するのは初めてのことであった。
トロットサンダーは引退後、門別・ブリーダーズスタリオンステーションにて種牡馬となった。しかし大した産駒を送り出せず、2004年8月に種牡馬供用を停止。その後の転売先は不明で、同年11月に永眠したとのことである。岩手競馬の重賞を勝ったウツミジョーダンがほとんど唯一の活躍した産駒となった。
マイル戦に限れば8戦8勝。本当はもっと強いことを証明できたはずなのに、人間の勝手で引退させられたトロットサンダー。地方・浦和出身であること、そしてあまり公にはしたくない引退への顛末とあって、JRAとしてはあまりこの馬に関して積極的に広報材料として活用していないように感じられる。「臭いものには蓋」と思っているのかもしれない。トロットサンダーはそういう意味で不幸なサラブレッドであった。
2003年7月20日筆
2022年4月7日加筆