シンボリルドルフ

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[競走成績][実績][血統表]

1981/3/13生 2011/10/4没
牡  鹿毛
父:パーソロン 母:スイートルナ (by スピードシンボリ)
生産者:門別・シンボリ牧場(JPN)
馬主:シンボリ牧場
調教師:野平祐二(美浦)

・中央所属時成績
三歳時 3戦 3勝
四歳時 7戦 6勝 皐月賞 東京優駿 菊花賞 有馬記念
五歳時 5戦 4勝 天皇賞・春 ジャパンカップ 有馬記念
六歳時 1戦 0勝
中央通算 16戦13勝
全通算 16戦13勝

[解 説]当サイトでは漢数字の馬齢は旧年齢表記、算用数字の馬齢は満年齢表記
 シンボリルドルフは1981年3月北海道門別シンボリ牧場で生まれた。父パーソロンはシンボリ牧場がアイルランドから輸入した種牡馬で、天皇賞馬メジロアサマ、ダービー馬サクラショウリ、オークス馬トウコウエルザ等、74年から3年間リーディングサイヤーに輝いている。母スイートルナは競走成績こそ平凡であるが、その父スピードシンボリは七歳八歳で有馬記念を連覇し、ワシントンDCインターナショナル5着他海外遠征に果敢に挑戦した名馬である。
 和田共宏氏が率いるシンボリ牧場の持ち馬として、美浦の野平祐二厩舎に預けられた。ちなみに野平師はスピードシンボリの主戦騎手であった。デビューは新潟の1000m戦。内にささりながらも完勝。しかしその天才的な素質を関係者から見抜かれていた彼は新潟三歳Sには目もくれず、東京の条件戦とオープンに出走し、これを追ったところなしで完勝。結局3戦3勝で三歳戦を終える。
 明けて四歳は弥生賞から始動。しかしここには強力なライバルが出走してきた。同じく無敗街道を走っていたビゼンニシキである。ここまでビゼンニシキとシンボリルドルフの両方に乗ってきた岡部騎手はシンボリルドルフを選んだ。しかしファンはすでに共同通信杯を勝っていたビゼンニシキを評価し、シンボリルドルフは2番人気であった。レースはこの2頭のマッチレースとなり、シンボリルドルフがビゼンニシキを競り落とした。着差こそ1馬身3/4であったが、シンボリルドルフの圧倒的な実力をファンは確信した。シンボリルドルフとビゼンニシキは皐月賞で再度対戦。ビゼンは血統的にダービーは距離に難点ありと思われたので、陣営は弥生賞の雪辱を期すため万全に仕上げてきた。シンボリルドルフは1番人気に支持された。レースは予想通り2頭の激しい叩き合いとなり、シンボリルドルフが外斜行しビゼンニシキに馬体を接触しながらも1馬身1/4差をつけて勝った。続くダービーはもはやライバルと言える馬は存在しなかった。道中行きっぷりが悪く心配されたが、何事もなかったかのように直線を抜け出して、スズマッハ以下に完勝。ビゼンニシキは距離の壁で14着と大敗した。
 夏は千葉のシンボリ牧場でさらに鍛えられ、もはやライバルのいない菊花賞を捨てて、ジャパンカップに目標を絞ることも検討された。しかしオーナーの強い意向で菊花賞にも出走することとなった。秋緒戦のセントライト記念をレコードで楽勝して西下し菊花賞に臨んだ。もちろん圧倒的な1番人気である。中団から直線堂々と抜け出し、ゴールドウェイに3/4馬身まで詰め寄られたものの楽勝。薄曇りの京都競馬場、日本競馬史上初の無敗の三冠馬誕生の瞬間である。そしてシンボリルドルフは中1週でジャパンカップに挑んだ。過去3回のジャパンカップはいずれも外国馬が優勝していた。しかし今回は天皇賞・秋を制したミスターシービー、きついローテーションとはいえシンボリルドルフの両三冠馬が負かしてくれるのではないかという期待感で盛りあがっていた。そして結果は日本の馬が勝ったのだが、それは2頭の三冠馬ではなく10番人気のカツラギエースの逃げきり勝ちであった。シンボリルドルフはアメリカ代表馬マジェスティーズプリンスを抑えたものの、イギリスのベッドタイムを捕らえることができず3着と敗れた。つづく有馬記念では逃げるカツラギエースを終始マークしてレコード勝ち。カツラギエースにジャパンカップの借りを返すとともに異世代でもナンバーワンであることを示した。
 五歳となったシンボリルドルフはもはや国内には敵がいないとみて、夏に欧州遠征を敢行することになった。まず緒戦の日経賞を馬なりの逃げきり勝ちを収めて、天皇賞・春に駒を進める。ここには一昨年の三冠馬ミスターシービーが出走してきた。ミスターシービーは淀の坂上からスパートする奇襲戦法で挑んできたが、シンボリルドルフには通用せず、サクラガイセン以下に完勝。シービーは5着に敗れた。しかし国内最後のレースになる予定だった宝塚記念は直前の脚部不安で出走取り消し。欧州遠征も白紙に戻された。
 必死に立て直した陣営は何とか天皇賞・秋への出走に漕ぎ着けた。久々とはいえ史上最強馬をファンは当然のように1番人気に支持した。大外17番枠から一完歩出遅れたルドルフであったが、まもなく好位につけた。しかし大欅を過ぎると、久々のせいか引っ掛かってしまい4コーナーでは先頭に立ってしまった。それでも2000mのレコードホルダーウインザーノット、マイル王ニホンピロウィナーの追撃を振り切ってゴールを目指す。しかしゴール寸前、大外からこの時まだ条件馬であったギャロップダイナの急襲にあって2着に敗れてしまう。しかしこの負けてなお強しの内容に続くジャパンカップでファンは1番人気に支持した。その期待に応えるようにロッキータイガーの追い込みを後目に完勝。外国招待馬のレベルが例年よりも低かったとはいえ世界に通用する器であることを改めて証明してみせた。次走の有馬記念はシンボリルドルフにとって勝利は約束されたようなものであった。この年皐月賞、菊花賞を制したミホシンザンがどこまで迫れるかというのがほとんどのファンの見方で、実際この2頭が1、2番人気を占めた。レースはシンボリルドルフが中団から3コーナーで先頭に立って、そのまま押し切る横綱競馬でミホシンザン以下に完勝。もはやシンボリルドルフには日本でやる競馬はない。そういわれても首肯せざるを得ない程の圧倒的な強さであった。ちなみにミホシンザンとの連勝馬券は160円という低配当であった。
 六歳になったシンボリルドルフは、海外に戦いの場を求めた。3月アメリカ西海岸のサンルイレイSを叩き、最終的に凱旋門賞を目指すという壮大な計画が発表された。しかしながらこの日程をめぐってオーナー、調教師間で不協和音が生じた上に、レース直前の体調不良。さらにレース中での故障発生もあって、サンルイレイSは7頭中6着という大敗北を喫してしまった。日本に戻り復帰に向け努力がなされたが、結局このレースを最後に引退。引退式は12月中山競馬場。G1レース7勝を意味する「7」に王冠を描いた特製ゼッケンを背にターフを去っていった。
 現役時代は関係者によるエリート然とした待遇と醸し出す雰囲気、好位から抜け出す面白みのないレース運び、それにあまりにも強すぎたために、先輩三冠馬ミスターシービーに人気面で及ばなかった。しかし無敗でクラシック三冠を制した上に、天皇賞、ジャパンカップ、2回の有馬記念とトップレベルの馬に用意されたレースにことごとく勝利して見せた。故郷のシンボリ牧場で種牡馬となったルドルフは、初年度産駒からトウカイテイオーという超大物を輩出した。その後は宝塚記念2着のアイルトンシンボリを出すなどしたが、全般的に気性難の産駒が多く大成できなかった。結局、99年ツルマルツヨシによる京都大賞典が産駒最後の重賞勝ちとなった。そして2004年種牡馬を引退。2011年10月4日未明、悠々自適の生活を送っていた千葉シンボリ牧場で他界した。享年30歳の大往生であった。
 シンボリルドルフ以降、ナリタブライアンディープインパクトの三冠馬の他、数多の名馬が誕生しているが、引退後20数年を経た現在もその輝きはいささかも失われていない。シンボリルドルフは間違いなく日本競馬史上に残る名馬である。
2000/10/7筆
2004/11/25加筆
2011/10/4加筆

日付 競馬場 競走名 距離 馬場 頭数 人気 着順 時計 騎手 斤量 馬体重 1着馬(2着馬)
1983/7/23 新潟 新馬 1000 10 1 1 0:59.2 岡部幸雄 53 474 (ブロークンヒル)
1983/10/29 東京 いちょう特別 1600 17 1 1 1:37.3 岡部幸雄 53 474 (エビスジョウジ)
1983/11/27 東京 オープン 1600 5 1 1 1:39.9 岡部幸雄 55 474 (ハルーダ)
1984/3/4 中山 弥生賞(G3) 2000 14 2 1 2:01.7 岡部幸雄 55 492 (ビゼンニシキ)
1984/4/15 中山 皐月賞(G1) 2000 18 1 1 2:01.1 岡部幸雄 57 470 (ビゼンニシキ)
1984/5/27 東京 東京優駿(G1) 2400 21 1 1 2:29.3 岡部幸雄 57 476 (スズマッハ)
1984/9/30 中山 セントライト記念(G3) 2200 10 1 1 R2:13.4 岡部幸雄 56 470 (オンワードカメルン)
1984/11/11 京都 菊花賞(G1) 3000 18 1 1 3:06.8 岡部幸雄 57 474 (ゴールドウェイ)
1984/11/25 東京 ジャパンカップ(G1) 2400 14 4 3 2:26.5 岡部幸雄 55 474 カツラギエース
1984/12/23 中山 有馬記念(G1) 2500 11 1 1 R2:32.8 岡部幸雄 55 480 (カツラギエース)
1985/3/31 中山 日経賞(G2) 2500 8 1 1 2:36.2 岡部幸雄 58 486 (カネクロシオ)
1985/4/29 京都 天皇賞・春(G1) 3200 15 1 1 3:20.4 岡部幸雄 58 474 (サクラガイセン)
1985/10/27 東京 天皇賞・秋(G1) 2000 17 1 2 1:58.8 岡部幸雄 58 474 ギャロップダイナ
1985/11/24 東京 ジャパンカップ(G1) 2400 15 1 1 2:28.8 岡部幸雄 57 480 (ロッキータイガー)
1985/12/22 中山 有馬記念(G1) 2500 10 1 1 2:33.1 岡部幸雄 57 486 (ミホシンザン)
1986/3/29 Santa Anita
(USA)
サンルイレイステークス(米G1) 2400 7 3 6 2:26.8 岡部幸雄 57.2 --- ダハール Dahar

距離別実績
距離区分 1着 2着 3着 連対率 主な勝鞍
1400m未満 11001.000
1400〜1900m未満 22001.000
1900〜2200m未満 32101.000 1984皐月賞
2200〜2800m未満 86010.750 1984東京優駿 1985ジャパンカップ 1984有馬記念 1985有馬記念
2800m以上 22001.000 1984菊花賞 1985天皇賞・春
芝コース通算1613110.875 

競馬場別実績
競馬場 1着 2着 3着 連対率 主な勝鞍
中山66001.000 1984皐月賞 1984有馬記念 1985有馬記念
京都22001.000 1984菊花賞 1985天皇賞・春
東京64110.833 1984東京優駿 1985ジャパンカップ
Santa Anita(USA)10000.000
新潟11001.000
通算1613110.875 

5代血統表
パーソロン
Partholon
1960 鹿
Milesian My Babu Djebel Tourbillon
Loika
Perfume Badruddin
Lavendula
Oatflake Coup de Lyon Winalot
Sundry
Avena Blandford
Athasi
Paleo Pharis Pharos Phalaris
Scapa Flow
Carissima Clarissimus
Casquetts
Calonice Abjer Asterus
Zariba
Coronis Tourbillon
Heldifann
スイートルナ
Sweet Luna
1972 栗
スピードシンボリ ロイヤルチャレンヂャー Royal Charger Nearco
Sun Princess
Skerweather Singapore
Nash Light
スイートイン ライジングライト Hyperion
Bread Card
フィーナー Orthodox
Sempronia
ダンスタイム Palestine Fair Trial Fairway
Lady Juror
Una Tetratema
Uganda
Samaritaine Maravedis Massine
Argentee
Sarita Biribi
Lady Sarah


作成 2011/10/ 4
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