[解 説]
当Web siteでは漢数字の馬齢は旧年齢表記、算用数字の馬齢は満年齢表記
スペシャルウィークは1995年5月、北海道門別町日高大洋牧場にて生まれた。父はリーディングを独走していた大種牡馬サンデーサイレンス。母キャンペーンガールの父は日本を代表する種牡馬
マルゼンスキー。そして何よりの血統上の特徴は輸入牝馬全盛の時代にあって、日本古来の牝系の有していることで、この馬はその中でも特に成功しているシラオキの系統である。シラオキの直仔としては二冠馬
コダマ、桜花賞馬
シスタートウショウ、牝馬でダービーを制した
ウオッカがその系統から出ており生産界でも人気がある。
栗東の白井寿昭厩舎に預けられ、三歳暮れの阪神競馬でデビュー。ここを1番人気で完勝し、明けて四歳初戦の白梅賞は2着に敗れたものの、続くきさらぎ賞でボールドエンペラー以下に圧勝。勇躍東上した中山の弥生賞ではメンバーも強化され、
キングヘイローに次ぐ2番人気であったが
セイウンスカイ以下に完勝。一気にクラシック戦線の主役に躍り出た。ところが1番人気に支持された皐月賞では終始外の馬場の悪いところを通らされ、
セイウンスカイを捉えることができず、
キングヘイローにも遅れて3着に敗れる。しかしファンはダービーでは1番人気に支持し、初コースに若干とまどいながらも、中団から徐々に進出しボールドエンペラー以下に5馬身差の圧勝。鞍上武豊騎手はこれが初めてのダービー制覇となった。
夏場を休養に当て、京都新聞杯から再始動。ここを軽く突破して、菊花賞を迎える。しかし直線猛然と追い込んだもののまたも
セイウンスカイの逃げを捉えることができず、2着に敗れる。敢然と挑戦したジャパンカップでは同期の
エルコンドルパサー、古馬の
エアグルーヴに遅れる3着と敗れたが、外国招待馬には先着しその実力を見せつけた。しかし激走疲れで有馬記念の出走は回避することになった。同じ頃生まれ故郷の日高大洋牧場が火事に見舞われ多数の繁殖馬が焼死してしまうという悲しい出来事があった。
五歳になったスペシャルウィークは意気消沈する牧場の人々を勇気づけるかのような快進撃を続ける。五歳初戦は1月のアメリカジョッキーCC。調教では不調を伝えられていたが、ペリエ騎手を鞍上に迎え完勝。続く重馬場の阪神大賞典では前年の天皇賞・春を勝った
メジロブライトと直線一騎打ちとなり、これを競り落とした。そして天皇賞・春は終始先行する横綱競馬で
メジロブライト以下に着差以上の完勝。現役最強ステイヤーの称号を手に入れた。続く宝塚記念で前年の有馬記念を勝った同期生
グラスワンダーと初対決。しかし終始好位で進みながら直線で並ぶ間もなく抜き去られ5馬身差の2着と完敗してしまう。この敗戦で凱旋門賞に挑戦するプランは白紙に戻された。
秋は京都大賞典から始動。調教の動きが悪く陣営は半信半疑で送り出したが、ツルマルツヨシの7着という考えられないような敗北を喫してしまう。しかし4番人気まで落ちた天皇賞・秋は思い切った後方待機策をとって、ゴール直前で
ステイゴールドを交わし、史上3頭目の天皇賞連覇を成し遂げた。続くジャパンカップは凱旋門賞馬モンジュー以下世界の強豪を相手に、直線しびれるような手応えからインディジェナス以下を豪快に差しきって、日本馬の意地を世界に見せつけた。
そして秋G1レース3連勝と打倒
グラスワンダーを目指して有馬記念に出走。レースは予想通り
グラスワンダーとの凄まじい追い比べとなり、2頭はほぼ同時にゴールに飛び込んだ。武豊騎手会心の騎乗であったが、写真判定の結果は僅か4センチの差で
グラスワンダーが勝利し、先の目的は果たすことができなかった。
この有馬記念で現役を引退。社台ファームにて種牡馬となった。産駒成績としては2005年オークスとアメリカンオークスを勝った
シーザリオ、阪神JF、桜花賞、オークス、ヴィクトリアマイル、天皇賞・秋、ジャパンカップに勝った
ブエナビスタなどを輩出。牡馬では
トーホウジャッカルが菊花賞を制している。インティライミ、リーチザクラウン、ローマンレジェンドなど重賞勝ち馬も多数輩出して種牡馬としても成功した。母の父としては
シーザリオの仔
エピファネイアと
リオンディーズがそれぞれ菊花賞とジャパンカップ、朝日杯FSを勝っている。2017年に種牡馬を引退し、故郷の日高大洋牧場で余生を送っていたが、2018年4月27日、数日前の放牧中の転倒が原因で逝去した。
日本古来の牝系に歴史的な種牡馬と配合で、阪神大賞典のような重馬場の長距離をこなすスタミナと、天皇賞・秋のように中距離でレコード勝ちを収めるスピードの両面を兼ね備えた希有なサラブレッドで、五歳の京都大賞典を除きすべて3着以内という抜群の安定感を誇った。同世代に
グラスワンダー、
セイウンスカイ、
エルコンドルパサーがいたために獲得したJRA賞は五歳の特別賞のみであったが、逆にそのような強豪と競り合ったために、自らの競走能力を高めていったのかもしれない。通算10勝、そのうちGI級4勝、3頭のGI馬輩出は見事というしかない。
2000/4/9筆
2011年5月14日加筆
2018年4月29日加筆