アグネスデジタル成績
アグネスデジタルの画像
著作権
1997/5/15生 2021/12/8没
牡  栗毛
父:Crafty Prospector 母:Chancey Squaw (by Chief's Crown)
生産者:Catesby W. Clay & Peter J. Callahan(USA)
馬主:渡辺孝男氏
調教師:白井寿昭(栗東)

・中央所属時成績
2歳時 6戦 3勝
3歳時 9戦 3勝 マイルチャンピオンシップ
4歳時 7戦 4勝 南部杯 天皇賞・秋 香港カップ(HKG G1)
5歳時 3戦 1勝 フェブラリーステークス
6歳時 7戦 1勝 安田記念
中央通算 32戦12勝
全通算 32戦12勝
[解 説]当Web siteでは漢数字の馬齢は旧年齢表記、算用数字の馬齢は満年齢表記
 アグネスデジタルは1997年アメリカ・ケンタッキー州のラニモードファームで生まれた。父クリフティスペクターCrafty Prospectorは1979年アメリカ産馬で10戦7勝。7勝は全て一般競走で、GIはガルフストーム・パークHの2着があるのみだ。しかしその父が名種牡馬ミスタープロスペクターということで種牡馬入りすると、現役時代よりも大きい実績を上げた。ミスタープロスペクターの後継種牡馬は不思議なことにGI路線を活躍した馬よりむしろGII級の実績しかない方が成功している。日本では根岸SやガーネットSを勝ったストーンステッパーなどの活躍馬がいる。母チャンシースクウォーChancey Squawは1991年アメリカ産馬で現役時代は9戦1勝。購入価格の約10分の1の賞金しか稼げなかった。その母アリカンスAllicanceは1勝馬、その祖母ラナウェイブライドRunaway Brideも未勝利であった。ただしラナウェイブライドの7番仔ブラッシンググルームが種牡馬として成功し、日本ではブルードメアサイアーとしてヤマニンゼファーマヤノトップガンテイエムオペラオーなどを輩出している。母の父チーフズクラウンは1984年の最優秀2歳牡馬に選ばれ、その後も期待されたが、翌年アメリカ三冠競走は全て本命で惜敗し、トラヴァースステークスを勝ってGI競走を7勝したものの、ブリーダーズカップ・クラシック4着で引退した。1985年シンボリルドルフの勝ったジャパンカップの参戦に意欲を示していたが叶わなかった。引退後はダンジグの後継種牡馬として活躍し、ブリーダーズカップターフを勝ったチーフベアハートなどを輩出した。通常、アメリカの競走馬は競り市で購入するのが一般的だが、この馬は日本では未だ主流である生産者から直接購入するいわゆる「庭先取引」で購入された。オーナーから委託された白井調教師が独自に発掘した伝手で牧場と交渉した。当初、牧場は一般的でない「庭先取引」に戸惑って、交渉は順調とはいかなかったが、師は約2800万円で生まれて間もないアグネスデジタルとなる仔馬を購入した。翌年、その仔馬はスペシャルウィークなどを生産した日高太平洋牧場に送られ育成調教に入った。線の細く大器の片鱗は見受けられなかったものの、身体は頑健で性格も素直で大人しい馬が栗東の白井調教師の元にやってきた。
 このアメリカ産の鹿毛の牡馬は渡辺孝男氏の持ち馬としてアグネスデジタルと名付けられた。アグネスは渡辺氏の持ち馬の冠名であり、それは70年代のアイドル歌手アグネス・チャンから取られたものだ。渡辺氏は印刷会社を経営しており、その勝負服は黄・赤袖・水色二本輪でこれは印刷の色の三原色に由来する。厳密には印刷の色の三原色は桃色、黄色、水色なのだが、印刷物はこの3色のインキの濃さや密度で全ての色を表現できる。もちろんコンピュータ画面の色もデジタル処理であらゆる色を表している。デジタルと付けた経緯は不明だが、勝負服の色の関連性からふさわしい馬名だったといえる。
 1999年三歳となったアグネスデジタルは9月阪神のダート1400m新馬戦を福永祐一騎手を鞍上に初出走した。ここは勝ち馬から7馬身差離される2着に敗れたが、折り返しの1200mダート新馬戦を2着馬に3馬身差をつけて勝ち上がった。しかし次走の京都の芝1200m戦は8着と惨敗。アメリカ生まれだけに芝の適正に疑問符がもたれ、その後はダート戦が使われ、京都ダート1200mを2着、的場騎手に乗り替わった東京ダート1600m1着、そして川崎の全日本三歳優駿という統一G2のレース1番人気で制した。ダートの能力は間違いないという手応えで三歳競馬を終えた。
 2000年四歳となったアグネスデジタルは外国馬なのでクラシック路線に進むことはできず、春はNHKマイルカップを目標に調整が進められた。しかし得意な東京のダート戦を3着、芝に転じたクリスタルカップ(G3)、ニュージーランドトロフィー(G3)の重賞をともに3着。そしてNHKマイルカップはイーグルカフェの7着に敗れた。やはり芝ではダメなのかと6月名古屋の名古屋優駿(統一G3)というダート1900mのレースに出走した。すると重馬場を諸ともせずに1分59秒8のレコード勝ちを収めてしまった。次走7月の大井ジャパンダートダービー(統一G1)は「この馬はホクトベガのように地方で強い馬だ」と思われて1番人気に祭り上げられた。しかしここを14着という大敗を喫してしまった。
 「ダートも芝もダメ」という状況から、2ヶ月間の休養で陣営は体制を立て直し、中山のダート重賞ユニコーンステークス(G3)に4番人気で出走、これを制して中央重賞初勝利した。続く武蔵野ステークス(G3)は2着だったが、アグネスデジタルが力をつけているのは明らかだった。白井師は次走をこの年に新設されたジャパンカップダートか芝のマイルチャンピオンシップにするか迷ったが、的場騎手の「ジャパンカップダートの2100mはこの馬には長すぎる。もう芝は問題ないのでマイルCSに向かうべき」という進言を受け入れ、次走はマイルチャンピオンシップに決まった。
 第17回マイルチャンピオンシップは晴良馬場の京都競馬場で開催された。この年のマイルCSは1200mG1を勝ったブラックホークダイタクヤマトキングヘイロー、1600mG1を勝ったエイシンプレストンマイネルマックスシンボリインディヤマカツスズランなどが出走していたが、近走の成績から信頼性が薄く、G1勝ちのないダイタクリーヴァが急遽安藤勝己騎手に乗り替わったことで1番人気に支持されるほどの混戦模様であった。アグネスデジタルはこの時点で芝が未勝利であることが懸念されて、その後の実績を考えると不当な13番人気という低評価だった。アグネスデジタルはスタートで後手を踏んで、後方からのレースをとなった。4コーナーでもまだ後方にいたが、直線半ばから追っての伸びは鋭く、ダイタクリーヴァに半馬身差つけてレコード勝ちした。的場騎手といえば特定の馬をマークして騎乗することで有名だが、このレースに関しては馬のペースを守ることに専念したという。的場騎手にとってはこれが最後のG1優勝となった。
 翌2001年馬齢表記が満年齢に変わって4歳となったアグネスデジタルは年初の京都金杯(G3)に出走したが、ダイタクリーヴァにやり返され3着に敗れた。次走は得意なダートのフェブラリーステークスを予定していたが、球節炎を発症して回避した。5月の京王杯スプリングカップ(G3)を四位洋文騎手を鞍上に復帰したが9着、安田記念も11着と敗れ、陣営は捲土重来を図るべく休養させた。
 9月に船橋の日本テレビ盃で復帰するとこれに勝利、10月には盛岡のマイルチャンピオンシップ南部杯という交流G1に出走した。ここには前年のジャパンカップダートを勝ったウイングアロー、この年のフェブラリーステークスを勝ったノボトゥルーが出走していた。アグネスデジタルはダートに芝の実績を加味されて1番人気に支持された。盛岡競馬場は日本唯一となる芝内ダート外のコース形態で、しかも向正面がほぼ直線となる、ダート1600mとしては日本のチャンピオンコースといっていい。アグネスデジタルは盛岡所属のトウホウエンペラーとの競り合いを制して人気に応えた。アグネスデジタルは史上初めて芝ダート双方でのG1を制覇した。白井師は次走としてマイルチャンピオンシップに出走させる予定でいたが、天皇賞・秋が前年より2頭のみ外国産馬の出走枠が設けられたので、これに出走することにした。これにより同レースに出走を予定していたNHKマイルCを勝ったクロフネが取得賞金額で足りず出走できなくなった。クロフネの天皇賞出走を期待していた一部のファンは、アグネスデジタルの関係者を非難した。しかしこれによりクロフネは隠されていた才能を開花させることになるが、これは別の話である。
 第124回天皇賞は雨重馬場の東京競馬場で開催された。1番人気は前年G15勝を含む前年破竹の無敗の8連勝を達成し、この年の天皇賞・春を制し、天皇賞4連覇を目指すテイエムオペラオー。2番人気はテイエムオペラオーのライバルであるメショウドトウ、3番人気はG1未勝利ながら2着3着に粘るステイゴールド。アグネスデジタルは彼らに続く4番人気ではあったが、単勝オッズは20倍で大きく離されていた。午前中の雨は馬場を荒し、重馬場を得意とするテイエムオペラオーの勝利は揺るぎないものと思われた。そして2着はいつものようにメイショウドトウステイゴールドだろう。ファンは勝手にそう夢想した。実際テイエムオペラオーはスローペースで他馬が苦しむ中、自分の勝ちパターンの消耗戦に持ち込みゴールを目指した。アグネスデジタルは道中馬場のいい外目を通り、直線でも大外に進路を取って勝負を賭けた。テイエムオペラーがメイショウドトウを競り落とし安心したところに、大外からアグネスデジタルが出し抜け気味に伸びてきて、テイエムオペラオーに1馬身差をつけてゴールに飛び込んだ。外国馬による天皇賞制覇はミツドファーム以来45年ぶりであった。しかしファンの評価はマークしていない馬が展開に填まっただけであり、アグネスデジタルを讃える声よりも、テイエムオペラーに同情する声が多かった
 アグネスデジタルの次走は海外遠征を選び、12月の香港国際競走のメインレース、芝2000mの香港カップに出走した。12番枠のアグネスデジタルはスタート直後にある第1コーナーを先頭で回った。その後は先頭集団後方に下げ、4コーナーでは先頭に立った。直線では追いすがるデットーリ騎乗のトプーグを頭の差凌いで優勝した。この日は1600mの香港マイルでエイシンプストンが、2400mの香港ヴァーズでステイゴールドが優勝し、1200mの香港スプリント以外日本馬が独占した。アグネスデジタルは翌年のJRA賞で最優秀4歳以上牡馬に選出された。
 2002年5歳となったアグネスデジタルはダートの頂点を目指すべくドバイワールドカップを目標に据えた。まずは国内のダートGIフェブラリーステークスを叩くことになった。
 第19回フェブラリーステークスは晴・良馬場の東京競馬場で開催された。このフェブラリーSには10頭のGI級優勝馬が名を連ねるレベルの高い競走となった。そんな中アグネスデジタルは1番人気に支持された。アグネスデジタルと四位騎手は自信満々だった。道中6番手につけ、直線で抜け出すとトーシンブリザード以下を退けて優勝した。これで南部杯から4戦連続でGIに出走し、全てに勝利したことになる。特筆すべきは芝・ダート不問であること、戦った馬のレベルが高いこと、盛岡と香港という環境の変化に対応したことである。ドバイワールドカップは輸送時に香港で足止めを食らった上、調教も順調さを欠き、6着と結果を残せなかった。続いて香港のクイーンエリザベス2世ステークスに出走したが、香港を得意とする日本馬エイシンプレストンの2着に敗れた。とはいえ日本国外の競走で日本馬が1,2着独占したのは初の快挙であった。その後輸送も含めた連戦による疲労を回復するため、1年近い休養を取ることになった。
 2003年6歳となったアグネスデジタルは5月、名古屋の交流重賞かきつばた記念から復帰した。しかしいいところまで上がってきたものの直線で伸びず4着に敗れた。もう全盛期は終わったと見るべきか、まだ上がり目があると見るか関係者とファンの見方は分かれた。
 第53回安田記念は晴・良馬場の東京競馬場で開催された。1番人気はG1未勝利ながらも3歳時に宝塚記念で3着に粘った実績のあるローエングリーン。テレグノシスダンツフレームアドマイヤマックスイーグルカフェビリーヴなどG1馬が出走していたものの、確固たる中心馬はいなかった。アグネスデジタルは底力を期待されて4番人気だった。関係者はファン以上に弱気で、入着があればという程度で送り出していた。レースは逃げたローエングリーンのペースで勝ちパターンに持ち込んだが、これにアドマイヤマックスが襲いかかった。この2頭で決まるかと思ったところに、静かに中団に構えて、直線で大外を追い込んできたのがアグネスデジタルだった。粘るアドマイヤマックスを捉えると、1年4ヶ月ぶりの勝利を手にした。しかも走破時計1分32秒1はオグリキャップが叩き出した時計を13年ぶりに更新するコースレコードだった。もう終わったという見方も多かったなかでの圧勝ぶりに、白井師も信じられないないという気持ちだった。
 その後はその年のダービー馬ネオユニバースが参戦するなど豪華メンバーの集まった宝塚記念を13着、ダートに戻って船橋の日本テレビ盃は1番人気に支持されて2着に粘ったものの、南部杯は5着と期待を裏切った。天皇賞・秋は4番人気で17着と惨敗。それでも奇跡を信じたファンは有馬記念を7番人気に支持した。結果はシンボリクリスエスの9着と完敗。もうアグネスデジタルは走る理由が見当たらなかった。G1級競走6勝という勲章を胸に引退することになった。
 翌2004年1月18日、京都競馬場で引退式が行われた。ゼッケン番号は13。これは最初に勝ったG1レースマイルチャンピオンシップ優勝時のものだった。アグネスデジタルは北海道新冠町のビッグレッドファームで種牡馬生活に入った。重賞勝ち馬としては2008年シンザン記念を勝ったドリームシグナル、札幌記念を含む重賞を3勝したヤマニンキングリーらがいる。2014年カゼノコがジャパンダートダービーに勝ち、地方交流重賞とはいえ親仔2代のG1制覇を果たした。一流馬こそ出せなかったものの、芝ダート両方こなす剛健な馬を輩出した。2020年をもって種牡馬を引退し、十勝軽種馬農協で余生を送った。2021年12月8日、放牧中の事故がもとで安楽死措置がとられ永眠した。
 アグネスデジタルは芝、ダート、地方、海外問わずに活躍した希有な馬だ。その怪物ぶりは顕彰馬に選定されているタケシバオーに比肩するものだろう。通常、馬は環境の変化に敏感で、コースが変わっただけで不可解な敗戦をすることがある。しかしアグネスデジタルはむしろ遠征の方が結果を残しており、好奇心が旺盛で、環境の変化をむしろ楽しんでいたように見受けられた。また悪者扱いされながらも勝った天皇賞・秋、不調なのにレコード勝ちした安田記念の勝利は、単に底力があったというよりも、低評価を覆す反発心があったのだろう。いずれにしてもアグネスデジタルは強靱な精神力でターフに君臨した異能馬だった。そう、この「異能」こそアグネスデジタルにふさわしい称号であろう。
2023年7月1日筆
競走成績
日付 競馬場 競走名 距離 馬場 頭数 人気 着順 時計 騎手 斤量 馬体重 1着馬(2着馬)
2 1999/9/12 阪神 新馬 ダ1400 7 2 2 1:26.6 福永祐一 53 450 マチカネラン
1999/10/2 阪神 新馬 ダ1200 8 1 1 1:13.0 福永祐一 53 450 (ツルマルアラシ)
1999/10/9 京都 もみじステークス 1200 10 7 8 1:09.7 福永祐一 53 452 エンドアピール
1999/11/7 京都 もちの木賞 ダ1400 16 1 2 1:25.1 福永祐一 54 452 スリーフォーナイナ
1999/11/27 東京 500万下 ダ1600 13 1 1 1:38.2 的場均 54 444 (ファインイレブン)
1999/12/23 川崎 全日本三歳優駿(統一G2) ダ1600 12 1 1 1:41.1 的場均 54 444 (ツルミカイウン)
3 2000/2/20 東京 ヒヤシンスステークス ダ1600 12 3 3 1:38.2 的場均 57 452 ノボジャック
2000/3/12 中山 クリスタルカップ(G3) 1200 16 8 3 1:10.3 的場均 56 452 スイートオーキッド
2000/4/8 中山 ニュージーランドトロフィー四歳ステークス(G2) 1600 15 7 3 1:34.5 的場均 56 444 エイシンプレストン
2000/5/7 東京 NHKマイルカップ(G1) 1600 18 4 7 1:34.5 的場均 57 444 イーグルカフェ
2000/6/14 名古屋 名古屋優駿(統一G3) ダ1900 12 3 1 R1:59.8 的場均 55 444 (マイネルコンバット)
2000/7/12 大井 ジャパンダートダービー(統一G1) ダ2000 16 1 14 2:09.3 的場均 56 443 マイネルコンバット
2000/9/30 中山 ユニコーンステークス(G3) ダ1800 16 4 1 1:50.7 的場均 56 438 (マチカネラン)
2000/10/28 東京 武蔵野ステークス(G3) ダ1600 16 4 2 1:35.6 的場均 55 442 サンフォードシチー
2000/11/19 京都 マイルチャンピオンシップ(G1) 1600 18 13 1 R1:32.6 的場均 55 444 (ダイタクリーヴァ)
4 2001/1/5 京都 京都金杯(G3) 1600 16 3 3 1:33.8 的場均 58 454 ダイタクリーヴァ
2001/5/13 東京 京王杯スプリングカップ【GII】 1400 18 4 9 1:20.7 四位洋文 59 456 スティンガー
2001/6/3 東京 安田記念(G1) 1600 18 6 11 1:34.1 四位洋文 58 454 ブラックホーク
2001/9/19 船橋 日本テレビ盃(統一G3) ダ1800 8 3 1 1:51.2 四位洋文 58 444 (タマモストロング)
2001/10/8 盛岡 南部杯(統一G1) ダ1600 9 1 1 1:37.7 四位洋文 56 445 (トーホウエンペラー)
2001/10/28 東京 天皇賞・秋(G1) 2000 13 4 1 2:02.2 四位洋文 58 452 (テイエムオペラオー)
2001/12/16 Shatin
(HKG)
香港カップ【GI】 2000 14 2 1 2:02.8 四位洋文 57 --- (Tobougg)
5 2002/2/17 東京 フェブラリーステークス(G1) ダ1600 16 1 1 1:35.1 四位洋文 57 452 (トーシンブリザード)
2002/3/24 Nad Al Sheba
(UAE)
ドバイワールドカップ【GI】 ダ2000 11 3 6 2:03.8 四位洋文 57 --- Street Cry
2002/4/21 Shatin
(HKG)
クイーンエリザベスIIカップ【GI】 2000 14 2 2 2:02.6 四位洋文 57 --- Eishin Preston
6 2003/5/1 名古屋 かきつばた記念(統一G3) ダ1400 12 4 4 1:25.9 四位洋文 57 472 ビワシンセイキ
2003/6/8 東京 安田記念(G1) 1600 18 4 1 R1:32.1 四位洋文 58 468 (アドマイヤマックス)
2003/6/29 阪神 宝塚記念【GI】 2200 17 3 13 2:13.7 四位洋文 58 464 ヒシミラクル
2003/9/15 船橋 日本テレビ盃(統一G2) ダ1800 14 1 2 1:52.2 四位洋文 58 466 スターキングマン
2003/10/13 盛岡 南部杯(統一G1) ダ1600 14 2 5 1:37.0 四位洋文 57 471 アドマイヤドン
2003/11/2 東京 天皇賞・秋(G1) 2000 18 4 17 2:00.4 四位洋文 58 468 シンボリクリスエス
2003/12/28 中山 有馬記念(G1) 2500 12 7 9 2:32.8 四位洋文 57 466 シンボリクリスエス
距離別実績
距離区分 1着 2着 3着 連対率 主な勝鞍
1400m未満 20010.000
ダート1400m未満 11001.000
1400〜1900m未満 72020.286 2000マイルチャンピオンシップ 2003安田記念
ダート1400〜1900m未満 136410.769 2001南部杯 2002フェブラリーステークス
1900〜2200m未満 42100.750 2001天皇賞・秋 2001香港カップ
ダート1900〜2200m未満 31000.333
2200〜2800m未満 20000.000
2800m以上 0.000
芝コース通算154130.333 
ダートコース通算178410.706 
競馬場別実績
競馬場 1着 2着 3着 連対率 主な勝鞍
Nad Al Sheba(UAE)10000.000
京都41110.500 2000マイルチャンピオンシップ
名古屋21000.500
中山41020.250
阪神31100.667
盛岡21000.500 2001南部杯
東京104110.500 2001天皇賞・秋 2002フェブラリーステークス 2003安田記念
Shatin(HKG)21101.000 2001香港カップ
大井10000.000
船橋21101.000
川崎11001.000
通算3212540.531 

5代血統表
Crafty Prospector
1979 栗
Mr.Prospector Raise a Native Native Dancer Polynesian
Geisha
Raise You Case Ace
Lady Glory
Gold Digger Nashua Nasrullah
Segula
Sequence Count Fleet
Miss Dogwood
Real Crafty Lady In Reality Intentionally Intent
My Recipe
My Dear Girl Rough'n Tumble
Iltis
Princess Roycraft Royal Note Spy Song
Penroyal
Crafty Princess Crafty Admiral
Adjournment
Chancey Squaw
1991 鹿
Chief's Crown Danzig Northern Dancer Nearctic
Natalma
Pas de Nom Admiral's Voyage
Petitioner
Six Crowns Secretariat Bold Ruler
Somethingroyal
Chris Evert Swoon's Son
Miss Carmie
Allicance Alleged Hoist the Flag Tom Rolfe
Wavy Navy
Princess Pout Prince John
Determined Lady
Runaway Bride Wild Risk Rialto
Wild Violet
Aimee Tudor Minstrel
Emali
inserted by FC2 system