[解 説]
当HPでは漢数字の馬齢は旧年齢表記、算用数字の馬齢は満年齢表記
ディープインパクトは2002年3月、北海道・早来のノーザンファームにて生まれた。父サンデーサイレンスは1986年米国産馬。ケンタッキーダービーを含む14戦9勝の申し分ない実績で、引退後すぐ社台ファームによって日本に輸入された。我が国競馬史上最高の成績を収めた輸入種牡馬で、6頭のダービー馬をはじめ数多くのG1馬の父となった。母馬の遺伝的特質を引き出すのが抜群で、自ら持つ闘争心を産駒に伝えた。短距離から長距離まであらゆるタイプの産駒を輩出した。2002年8月に16歳で惜しまれながら永眠した。母ウインドインハーヘアWind in Her Hairはアイルランド産馬で欧州における現役時は13戦3勝。アラルボカルというドイツの2400mG1に勝っている。勝ち星こそ3勝だが、英国オークス2着、アイルランドオークス4着と長距離戦を中心に優秀な成績を収めている。ウインドインハーヘアの曾祖母ハイクレアは英1000ギニーとフランスオークスに勝ち、キングジョージを2着している名牝。繁殖成績も優秀で3番仔の牝馬ハイトオブファッションは英国ダービーとキングジョージに勝ったナシュワンなどを輩出している。アメリカ、アイルランドで供用されたあと、ノーザンファームの総帥吉田勝己氏がイギリスで購入し、2000年に日本に輸入されている。1歳上の全兄にスプリングSを勝ったブラックタイドがいる。その他では日本導入前に輸入した産駒レディブロンドは、重賞勝ちこそないものの、4歳6月に古馬相手の条件戦でデビューして5連勝後、G1のスプリンターズSに挑んだが4着に敗れるという衝撃的な成績であった。ノーザンファームでの育成時代のディープインパクトは、馬体が小振りで神経質な側面があり、多少非力であったが、名馬に共通する資質である身体の柔軟性と闘争本能を備えていた。
株式会社図研の社長、金子真人氏によって、このウィンドインハーヘアの2002は社台グループのセレクトセールで落札され、「ディープインパクト」と名付けられた。金子氏はこの馬の瞳の輝きに強い衝撃を受けたことが命名した理由と述べている。落札価格は7000万円とその後の大活躍を考えれば、安すぎといっていいが、馬体が小振りだったこともあって、その時に上場されていたサンデーサンレイス産駒14頭の中では9番目の評価だった。
2歳となったディープインパクトは2004年6月、栗東・池江泰郎厩舎に入厩した。かつて
メジロマックイーン、
ステイゴールドといった名馬を管理した池江師は、ディープインパクトのバネの利いた鋭い走りに魅了され、たちまち関係者の評判に上るところとなった。2004年12月、阪神開催の2000m新馬戦にディープインパクトは初出走した。関係者の評判はファンの評価となり、1番人気に支持された。日本競馬界の第一人者武豊騎手が手綱を取った。スタートはよくなかったが、上がり3ハロンを33.1秒という、2歳馬とは思えない末脚で2着馬に4馬身差をつける圧勝。数多くの名馬の手綱を取ってきた武豊にして、これは別次元の馬だと認識し、その後ディープインパクトの手綱を他に譲ることはなかった。
2005年3歳となったディープインパクトは1月京都の若駒ステークスに出走。最後方から競馬を進めながらも、直線だけで、しかも持ったままで、2着馬に5馬身差をつける圧勝。この時点で「これは化け物だ。今年のクラシックは怪我さえなければこの馬で決まりだ。」と考えたファンや関係者が多かったと思われる。次走はクラシックの登竜門と称せられる中山の弥生賞(G2)。ここには朝日杯FSをレコード勝ちした
マイネルレコルトや京成杯を勝ったアドマイヤジャパンなどが出走していた。手強くなった相手もディープインパクトには問題がなかった。悠然と後方から一気に捲ると、アドマイヤジャパン以下を下して、皐月賞の最有力どころか、クラシック三冠の可能性まで語られるようになった。アドマイヤジャパンとの着差がクビ差で僅差であったことが不安点であったが、それもスローペース、初コース、初輸送が原因と考えられた。
第65回皐月賞はディープインパクト一色に染められた。当然1番人気で、単勝支持率は63%と
トキノミノルが記録した73.3%に次ぐ記録であった。ちなみに過去の三冠馬における皐月賞の単勝支持率は
セントライトが29.8%、
シンザンが27.6%、
ミスターシービーが31%、
シンボリルドルフが51.4%、
ナリタブライアンが49.9%であり、ディープインパクトの人気の高さが伺える。2番人気は
マイネルレコルトとなったが、単勝支持率は6.8%。しかし実際に
マイネルレコルトが勝つ確率というのはこの数字以下であったろう。ディープインパクトはスタートで躓き、落馬寸前となり、ファンに背筋が凍る思いをさせた。最後方からの競馬は作戦通りとはいえ、初っ端から4馬身の差をつけられ不利は免れない。こうした不利を不利ともせず、却って闘争心を表に出すのがディープインパクトであった。3コーナーで一気に捲り、直線で武豊騎手が一発鞭を入れると、2着シックスセンスに2馬身半差をつけて楽勝した。武豊騎手はレース後「走っているというよりも、飛んでいる感じ」と述べ、これ以降ディープインパクトの疾走する様は、「跳ぶ」あるいは「飛ぶ」と表現されるようになった。
第72回日本ダービーにおけるディープインパクトの人気はもはや社会現象となっていた。単勝支持率は皐月賞を上回る73.5%であって、これは
ハイセイコーの66.6%を上回り、ダービー史上最高を記録した。出遅れ気味にゆっくりとゲートを出たディープインパクトは、1コーナーを最後方でまわり、3コーナーで徐々に進出、直線に向いて「見事に飛んで」、先頭でゴールを駆け抜けた。2着インティライミとは5馬身差、タイムは
キングカメハメハが記録した2分23秒3のダービーレコードタイであった。無敗のダービー馬1992年の
ミホノブルボン以来であった。
この時点でのディープインパクトの実力は、海外の一流馬と遜色ないもので、例えばキングジョージ6世&クイーンエリザベス2世ダイヤモンドステークスや凱旋門賞に遠征すれば、ファンが失望しないだけの結果を残すことができたであろう。しかし関係者は史上2頭目の「無敗の三冠」を目指すことで一致した。三冠を目指す馬にとって夏をどのように過ごすかが課題となるが、ディープインパクトは放牧されず、池江師の管理下、札幌競馬場で調教が積まれた。無事に夏を越したディープインパクトは9月阪神の神戸新聞杯(G2)にその姿を見せた。もちろん圧倒的1番人気でシックスセンス以下を軽く打ち負かし、いよいよ1984年の
シンボリルドルフ以来の無敗の三冠馬を目指すことになった。
菊花賞は春二冠馬が挑戦すると独特の異様な雰囲気に包まれる。それは三冠がいかに難しい偉業であるかをファンは知っているからだろう。しかしこの第66回菊花賞は勝者が既に確定されたような雰囲気で、どのような勝ち方をするのかが興味の対象となっていた。ディープインパクトの前売り単勝支持率は90%を越える異常さで、最終的には79%となったもののこれは、1963年の
メイズイの83.2%に次ぐ第2位だった。入場人員も13万6701人と菊花賞史上最高。ディープインパクト関連のグッズ売り上げも好調で、観客の中には金子オーナーの勝負服である「黒、青袖黄鋸歯形」の服を着た人もちらほらと見かけた。売り上げこそ史上最高とはいかなかったが、売り上げ低迷期にあって対前年比114%を記録した。珍しく好スタートを切ったディープインパクトは3コーナーの坂の下りで引っ掛かり気味で1回目の直線を迎えた。過去、何度となく人気馬がこの坂の下りで失敗し馬群に沈んでいた。しかし百戦錬磨の武豊騎手は冷静だった。ディープインパクトを馬群の内に入れて、向正面ではすっかり落ち着かせていた。あとはディープインパクトの競馬をするだけだった。直線一足早く抜け出したアドマイヤジャパンが意外に粘っていたが、この日も上がり3F33.2秒の末脚でこれを粉砕。2着アドマイヤジャパンを2馬身差をつけて優勝。見事に三冠を達成した。レース後の記念撮影では武豊騎手が指を3本立てて三冠達成を表現した。これは同じく無敗で三冠を達成した
シンボリルドルフと岡部騎手を模倣したものであった。
陣営は小振りな馬体のディープインパクトに、ジャパンカップと有馬記念の両方に出走させるのは無理と判断し、オーナーと協議の結果、有馬記念一本に絞ることになった。古馬とは初対決であること、無敗で有馬記念を制した馬は存在しないなど、不安点はないではなかったが、ディープインパクトのいつもの末脚が炸裂すれば、それくらいの不安点は吹き飛ばしてしまうだろうとファンは考え、当然のように、ディープインパクトは単勝オッズ1.3倍の圧倒的な1番人気に支持された。ファン投票では160,297票を集めて1位となった。レース当日の中山競馬場には前年の同レースの3割増しとなる16万2409人もの大観衆が押し寄せた。後方からレースを進めたディープインパクトはいつものように一気に捲って直線を迎えた。「さあディープが飛ぶぞ。」というファンの期待に反していつもの伸び脚がない。前を行く前走のジャパンカップでタイレコードで2着した
ハーツクライをなかなか捉えられない。結局、ディープインパクトは半馬身届かずの2着に敗北。初出走以来の連勝が7で止まった。思えばのちの凱旋門賞もそうだったが、ディープインパクトは馬体を併せて走るのが得意ではなかったのかもしれない。それでも年度代表馬として表彰され、現役最強馬はディープインパクトであることに間違いはなかった。
2006年4歳となったディープインパクトには海外遠征への期待が高まった。しかしこの時点ではどこを目指すのかはっきりと決まっていなかった。とりあえず、春季は、天皇賞・春と宝塚記念に出走することが発表された。まずは3月の阪神大賞典(G2)に出走。のちにメルボルンカップを制覇することになる
デルタブルース以下に楽勝。幸先のいいスタートを切った。
第133回天皇賞・春はもうディープインパクトの能力検定競走でしかなかった。初出走以来最低の438kgまで絞られた馬体は、菊花賞と違って出遅れたが、折り合いつけて坂を下り、3コーナーで徐々に進出。4コーナーでは先頭に立ち、あとは他馬を突き放すばかりであった。2着リンカーンとの着差は3馬身半。ゴール前では武豊騎手の手綱を弛める余裕を見せた。それでいて勝ち時計は3分13秒4と1997年に
マヤノトップガンが記録したレコードを1秒短縮した。レース後のインタビューで武豊騎手は「この馬より強い馬が世界にいるとは思えない」と発言した。そして5月4日、陣営はフランスの凱旋門賞を目指す海外遠征計画が発表された。単に世界の強豪に挑戦する遠征ではなく、勝利を持ち帰るための遠征である。
第47回宝塚記念は阪神競馬場の改装工事のため、京都競馬場で開催された。あいにくの稍重馬場だったが、それがディープインパクトの能力低下につながると思えず、単勝支持率は同競走最高の75.2%を記録した。もちろんファン投票もダントツの1位であった。降りしきる雨の中、ディープインパクトはいつもの競馬をして、直線を飛んで、真っ先にゴール板を駆け抜けた。2着ナリタセンチュリーに4馬身差をつけての「能力検定競走」を終えた。
ディープインパクトは凱旋門賞制覇をめざし、2006年8月9日、フランスに到着した。調教はおおむね順調で、本番の行われるロンシャン競馬場でも行われた。10月1日、凱旋門賞は8頭という史上2番目の少頭数で行われた。本番直前に雨が続き心配された天気も晴れ上がり、良馬場で行われることになった。前年の凱旋門賞優勝馬ハリケーンランや前年のブリーダーズカップ・ターフの覇者シロッコとともに3強の一角をなし、ロンシャン競馬場内につめかけた日本人がディープインパクトの単勝馬券を多数購入したためか、一時は1.1倍と圧倒的1番人気に支持された。日本では
エルコンドルパサー以来の衛星生中継が行われ深夜ににもかかわらず、固唾をのんで結果を見守った。好スタートを切ったディープインパクトは3番手につけた。いつもは最後方に近いところに位置するディープインパクトだが、武豊騎手はスローペースと読んで先行策を採った。末脚が武器のディープインパクトにこの判断が果たして正解だったかどうか。そのまま直線になだれ込み、あと300mで先頭に立ち、武豊騎手は満を持して追いはじめた。人気のハリケーンランとシロッコに伸び脚がない。しかしあと100mで後方でじっくり脚を溜めていた3歳馬のレイルリンクに差され、さらに牝馬のプライドに抜かれ、ディープインパクトは3位で入線した。「ディープインパクト程の馬でも勝てないのか」と日本中が落胆した。さらに数日後にフランス当局から「ディープインパクトから禁止薬物が検出」と発表され、追い打ちをかけられた。禁止薬物とは呼吸器疾患の治療に使われるイプラトロピウムというもので、確かにレース前に体調を悪化させたディープインパクトに対してフランス人獣医の手により投与されていた。したがって投与することは問題はないのだが、「フランスでは体内に自然に存在し得ない物質は全て禁止としていること」と定められていることから、レース時に体内から存在していてはいけないことになっていた。厩舎関係者の不注意が原因ということになり、ディープインパクトは同競走を失格とされ、池江調教師に罰金処分が下された。失意の関係者は帰国後、名誉回復のためか天皇賞・秋への出走に意欲を示した。しかしこの年の有馬記念を最後に引退することが決定したこと、帰国後まもなくで体制が整わないことを理由に、天皇賞は回避し、ジャパンカップと有馬記念のふたつに絞られることになった。
第26回ジャパンカップは東京競馬場、曇り良馬場で行われた。昨年有馬記念でディープインパクトを下し、ドバイシーマクラシックを勝ち、キングジョージでも3着した
ハーツクライが出走、3歳馬も春二冠馬
メイショウサムソン、無冠ながら安定感のあるドリームパスポートが出走するなど、そこそこのレベルが揃った。しかし出走馬は11頭とジャパンカップ史上最少で、外国からの招待馬はわずか2頭という寂しさであった。それでもそのうちの一頭ウィジャーボートは欧州牝馬における年度代表馬であり、実力の比較対象としては格好の存在だった。当然のようにディープインパクトが圧倒的1番人気に支持され、
ハーツクライが続いた。ただあの凱旋門賞以来ということで、単勝支持率は61.2%と凱旋門賞を除いて出走レース中最低を記録した。しかしそれでもジャパンカップ史上最高である。約12万人のファンが注目する中、ディープインパクトは最後方につけた。ペースも相手もなにも関係ない。あとはいつもの競馬をするだけだった。三分三厘から捲って先頭集団にとりつくと、直線では独走態勢。ドリームパスポートに2馬身差をつけて完勝。さらにウィジャーボートが3着に入線したことは、間接的にディープインパクトの優勝に箔をつけた。
第51回有馬記念は中山競馬場で晴・良馬場で開催された。喘鳴症が悪化した
ハーツクライは引退したものの、天皇賞・秋とマイルチャンピオンシップを連勝した
ダイワメジャー、オーストラリアの歴史ある大競走「メルボルンカップ」に優勝した
デルタブルース、同競走を2着したポップロックなどが参戦し、出走馬はより手強くなった。それに中山では弥生賞の辛勝、皐月賞の出遅れ、そして前年有馬記念の敗戦といい思い出はない。しかしディープインパクトは1番人気に支持された。単勝支持率は70.1%と第2回の
ハクチカラが記録した76.1%に次ぐ史上2位であった。これでディープインパクトは生涯すべての競走を全て1番人気で出走したことになり、これは過去のどの三冠馬も成し得なかった記録である。顕彰馬の中でも同様の記録をしているのは
クリフジと
マルゼンスキーのみである。レースは武豊騎手をして「生涯最高のレース」と語る完璧な「最終飛行」であった。スタート直後は後方3番手、そして三分三厘で上位に進出、小柄な馬体に理想的に鍛えられた筋肉を躍動させて、そこから他馬を突き放す。ディープインパクトの黄金パターンで、曲者と目されていたポップロックに3馬身差をつける完勝であった。勝ち時計は2分31秒9。時計と着差は不満があるものの、これは抜け出してから武豊騎手が手綱を抑えたためかもしれない。またこの日のディープインパクトの馬体重は438キロ。430キロ台での優勝馬は、430キロ丁度だった1971年の牝馬
トウメイ以来であった。当日の最終レース後、夕闇迫る中山競馬場で、ディープインパクトの引退式が行われた。小田和正の「言葉にできない」が流れる中、有馬記念のゼッケン番号4をつけたディープインパクトに、ファンは別れを告げた。人気と実力ともに兼ね備えた希有なサラブレッドはそのまま生まれ故郷の北海道に旅立った。
ディープインパクトは、総額51億円(8500万円×60株)ものシンジケートが組まれ、社台スタリオンステーションで種牡馬生活に入った。シンジケート額は日本で繋養される種牡馬としてはラムタラを上回る史上最高価格であり、また初年度の種付料は現在の日本国内の種牡馬としては最高額となる1200万円と発表された。それでも即日満口となる人気ぶりであった。けれども懸念の声がないわけでなかった。ディープインパクトは血統的にアウトブリードであり、競走馬としては健康で実績も残すが種牡馬としては成功例は少ないこと、3200mの天皇賞・春をレコード勝ちしているとはいえ、種牡馬としての成功条件でもある2000mでのレコード勝ちがなく、スピードよりもスタミナに勝るタイプではないか、といったものだ。これには反論も存在した。ディープインパクトは強い馬の宿命ともいえる脚部不安に全く無縁であったこと、後肢蹄鉄の底が平均的に減る理想的な走りをしていたこと。これらの優れた特性が産駒に遺伝すれば、過去に全くなかったような馬が出現するだろう。さらに440キロ台という小柄な馬体は、脚部不安になりがちな大型馬が生まれる可能性を減少させる。社台グループを長年支えた名種牡馬ノーザンテーストも小柄な馬だった。
しかし懸念は全くの杞憂に終わった。初年度の2010年産駒成績は父サンデーサイレンスを上回るペースで勝ち上がり、いきなり
マルセリーナが2011年桜花賞を勝った。翌2012年には
ジェンティルドンナが牝馬三冠を達成後ジャパンカップ連覇、ドバイシーマクラシック、有馬記念とGI7勝して顕彰馬に選ばれた。そして2020年には
コントレイルが世界史上初の親子二代で無敗三冠を達成、その後ジャパンカップも獲得した。サンデーサイレンスに配合されていた優秀な繁殖牝馬を独占し、前述の2頭以外にGIを複数回勝った馬としては
グランアレグリア、
サトノダイヤモンド、
フィエールマンなどがおり、紙面を埋め尽くすほどの重賞勝ち馬を輩出した。当然、生産界の人気は高く、ディープインパクトの体力の消耗を抑えるため種付け料を値上げして種付け数を抑えなければならない事態となった。その2019年春、ディープインパクトは首痛を発症、その後の種付けを中止した。アメリカから呼び寄せた獣医師による手術は成功し、その後の経過は安定していたが、7月29日に突如立ち上がれなくなり、安楽死の措置が執られた。享年16歳。競馬界の至宝の早逝は関係者に惜しまれた。
後方待機から小柄な馬体を弾ませながら三分三厘から一気に捲って圧倒する追い込み馬で、現役時の人気、実力ともに抜群だった。さらに繁殖成績も他の追随を許さない希有なサラブレッドであった。ディープインパクトに近い競走成績をあげた馬として五冠馬
シンザンと七冠馬
シンボリルドルフがいるが、
シンザン産駒のクラシック勝ち馬が
ミナガワマンナと
ミホシンザン、
シンボリルドルフが
トウカイテイオーのみであったことを考えると、サラブレッドの使命である産駒にその能力を伝えるという点において、ディープインパクトは先輩五冠馬を上回っている。日本競馬界の最高傑作といっても過言ではないだろう。今後は、ディープインパクトを超える馬づくりがサラブレッド生産界の目標となろう。それが達成されたとき、日本は世界のサラブレッド生産の頂点に立てるのではないだろうか。
2007年2月5日筆
2011年5月14日加筆
2022年4月1日加筆